Javaさんのお部屋(サム・ジーヴァ帝国図書館)

Javaさんのお部屋です。引っ越しました。詳しくは「はじめに」を読んでね。スマホ版は全体像が見えにくいから、PC版と切り替えながら見てね。

『維摩経』『勝鬘経』

著者:中村元
評価:B+

【評】
安心と信頼の漢訳+サンスクリット訳(+チベット訳)で贈る、大乗仏典シリーズその三。
維摩経
維摩経』の中心思想は、一語でいうならば、この章の表題に出ているように、現実生活の肯定ということで、大乗仏教の経典のうちでもとくに有名な異色のものですが、中国や日本では昔からひじょうに重んじられていました。
お見舞いエージェントに任命されたもんじゅが、ゆいまんとディスカッションする。
ゆいまん、言うことがキツいんですよ。

夫れ出家は無為法為り。無為法の中には利無く功徳無し。(中略)
汝達、便ち阿耨多羅三藐三菩提心を発せば、是れ即ち出家、是れ即ち具足なり。

なんで病んだの?

衆生病めば則ち菩薩病む。衆生の病愈ゆれば、菩薩も愈ゆ。
菩薩のおしごとは?

一切国土の中の 諸有る地獄処にも、
輙ち往て彼に到りて、 其の苦悩を勉済す。

其れ恐懼せる衆有らば 前に居て慰安し、
先ず施すに無畏を以てし、 後に道心を発さしむ。
病のもとになる執着を断ち切るには?

無住は即ち本無し。文殊師利よ。無住の本より一切の法を立つ。

善哉、善哉。乃至文字語有ること無し。是れ真に不二の法門に入るなり。

勝鬘経
釈尊の面前において国王の妃である勝鬘婦人が、いろいろの問題について大乗の教えを説き、それにたいして釈尊はしばしば賞賛のことばをはさみながら、その説法をそうだ、そうだと言って是認するという筋書きになっています。

「在家の人が、出家修行者たちのいる前で教えを述べて」おり、
しかも、「在家の人のうちでも、女人が教えを説いてい」ることが特徴。

四摂法「布施」「愛語」「利行」「同事」に代表される
十の誓いや三つの願いを言上したのち、 

普く衆生の為に、不請の友と作りて、大悲をもって衆生を安慰し、哀愍し、世の法母と為る。
と宣言。
これでは終わらず、二元論的(に見えてやっぱり一元的?)な仏教哲学を展開。

声聞縁覚乗は皆、大乗に入る。大乗とは即ち是れ仏乗なり。是の故に三乗は即ち是れ一乗なり。一乗を得るとは、 阿耨多羅三藐三菩提を得るなり。

如来蔵とは、是れ如来の境界なり。一切の声聞縁覚の知るところに非ず、如来蔵処に聖諦の義を説く。
如来蔵、それは…衆生如来たるべき種子。人を善に導く大いなる意志。
「つまり如来の現れ出るもとの根源、と同時にまた如来があらゆるもののもととなっているその根源、そういう意味にも解釈されます」
如来蔵に生有り、死有るには非ず。如来蔵は有為の相を離る。如来蔵は常住にして不変なり。

でも、如来蔵は人間生活の塵埃で汚れているもの。
如来蔵だけでは人間は成立しなくて、煩悩がまつわりついて、そこで現実の人間になる」
是の如きの如来法身は、煩悩蔵を離れざるを、如来蔵と名く。
世尊よ、若し如来蔵無くんば、苦を厭い、涅槃を楽い求むることを得ず。
信じよ、如来蔵を。世界を善に導く力を。
保て。蓮の如き清浄なる心を。
謂わく自性清浄心は了知すべきこと難し。彼の心が煩悩の為に染せらるることも、亦、了知すべきこと難し。此くの如きの二法は、汝及び大法を成就せる菩薩摩訶薩のみが、乃ち能く聴受す。