Javaさんのお部屋(サム・ジーヴァ帝国図書館)

Javaさんのお部屋です。引っ越しました。詳しくは「はじめに」を読んでね。スマホ版は全体像が見えにくいから、PC版と切り替えながら見てね。

夫婦善哉

夫婦善哉 正続 他十二篇 (岩波文庫)

【概要】
著者(監督):織田作之助

夫婦善哉』『続 夫婦善哉』『雨』『俗臭』『聴雨』『蛍』を読了。夫婦の腐れ縁や愛憎、生活や世間の喜怒哀楽をユーモラスに、しかし繊細に描く短篇集。基本的な舞台は大阪で人情味のある関西弁の話し言葉が心地よい。登場人物のさりげない一齣に心情や性格を反映させるという著者の得意技に唸った。


【詳細】

ダメ夫との腐れ縁。妻のDV折檻。夫婦(特に妻)のモノローグ的感情表出が興味深い。

蝶子の姿を見ると柳吉は「どや、良え按配に煮えて来よったやろ」長い竹箸で鍋の中を掻き廻しながら言うた。そんな柳吉に蝶子はひそかにそこはかとなき恋しさを感じるのだが、癖で甘ったるい気分は外に出せず、着物の裾をひらいた長襦袢の膝でぺたりと座るなり「なんや、まだいてるのんか、えらい暇かかって何してるのや」こんな口を利いた。

 

失踪して二十日目に、柳吉はひょっくり帰って来た。

のっそりと勝手口からはいって来た顔を見て、蝶子は息をのんだが、すぐ「ああ、びっくりした。なんや、あんたかいな」と、こみあげる嬉しさと照れ臭さをごまかした。「おばはん、只今」と、柳吉はかつてなく怖れる色もなかった。

 

「二階の窓から表の人通りを眺めていると、それが皆客に見えて、商売をしていないことがいかにも惜しかった」「品物を減らすと店が貧相になる」

などの商人的視点にはリアリティを感じた。

 

<想像の共同体>

言説(ディスクール)としての「大阪」が実在の大阪であるかのように、“誤解”させた織田作之助と“誤解”した読者の“共犯”によって、「大阪」は大阪以外のどこにもない都市になり、お君や蝶子は“「大阪」の女”として、人々の幻想を長く支え続けたのである。

 

<織田リアリズム>

  1. 作者として感情や価値判断を移入しやすい内容を書くときに、あえてそれを抑制したニュートラルな語り手を設定する
  2. 作者として感情移入しやすい人物を書くときに、語り手が別の人物に寄り添って語るか、別の人物を主人公にする
  3. 作者の感情としては書かずに済ませたいことも、作品の核心と考えられる事柄はあえて語り手に語らせる