西田哲学のエッセンスを注入。
もともとが講義の草案であるためか、
「たとえば」と繰り返しを駆使し、なるたけわかりやすく努めているように感じる。
そのおかげか当初の印象よりはずっとわかりやすい。
たとえば、色を見、音を聞く刹那、未だこれが外物の作用であるとか、我がこれを感じているとかいうような考えのないのみならず、この色、この音は何であるという判断すら加わらない前(中略)自己の意識状態を直下に経験した時、未だ主もなく客もない、知識とその対象とが全く合一している。これが経験の最醇なる者
「純粋経験」である。
純粋経験を基礎に、主客合一の世界へ。
主観と客観、静と動、対立と統一、精神と物体、神と己。
あらゆる境界や区別、二元的世界が消え去っていくのを感じた。
大拙の禅ソウルとはげしく共鳴している。
我々の精神が完全の状態即ち統一の状態にある時が快楽であって、
不完全の状態即ち分裂の状態にある時が苦痛である。(中略)努めて客観的となり自然と一致する時には無限の幸福を保つことができる。
元来無限なる我々の精神は決して個人的自己の統一を以て満足するものではない。更に進んで一層大なる統一を求めねばならない。我々の大なる自己は他人と自己を包含したものであるから、他人に同情を表わし他人と自己の一致統一を求むるようになる。我々の他愛とはかくの如くして起ってくる超個人的統一の要求である。故に我々は他愛において、自愛におけるよりも一層大なる平安と喜悦とを感ずるのである。而して宇宙の統一なる神は実にかかる統一的活動の根本である。我々の愛の根本、喜びの根本である。神は無限の愛、無限の喜悦、平安である。
[2019.11.08]
・100分de名著で若松英輔が話していた。本書を逆の順番で読んでいくのは新しい試み。そして伊集院、やっぱり勘がいいな。