Javaさんのお部屋(サム・ジーヴァ帝国図書館)

Javaさんのお部屋です。引っ越しました。詳しくは「はじめに」を読んでね。スマホ版は全体像が見えにくいから、PC版と切り替えながら見てね。

武家の女性

著者:山川菊栄
評価:B+

【概要】
水戸藩下級藩士一家の日常を女性目線で活写する。幕末の動乱期ゆえ、習い事、家事、台所事情などに関するほっこりイベントと、血で血を洗う内訌の残虐さが同居している。菊栄のストーリーテリング能力に驚嘆せよ。

【詳細】
読み書き、機織り、裁縫、きもの、すまい、身だしなみ、遊び。
婚姻や養子縁組、お妾さんや侍の髪事情に至るまで母・千世の思い出話をもとに幕末の下級藩士一家の日常を活写する。
各話の導入が小説の入りのように上手い。菊栄のストーリーテリング能力に驚嘆せよ。

<お塾の朝夕>
何しろ朝うす暗いうちにとび起きて来るのですから、明るくなってみると、単衣を裏返しに着ている子もあり、兄さんが弟の丈ゆきの短い着物を着ているかと思うと、あとから起きた弟が、兄さんの着物を着て、手首がかくれそうにゆきの長いので間に合せていることもあるという始末。

書斎と塾との間には紐が渡してあり、塾の法の鐘には錘がつるしてあって、塾の方が騒々しいと、書斎で紐を引っ張って鐘を鳴らします。これは「やかましいぞ、も少し静かに」という先生のご注意ですから、ピタと静まります。

先生のお宅は縁が高くて、まだ小さかった私には一人で上がれなかったもんですよ。毎朝門から駆け込むと、おばさんおばさんと奥からおばさんを呼び出して、手をひっぱって、引きずりあげてもらいましたっけ。

<お縫子として>
おじいさんの部屋にもっていきますと、内職の傘張りの手を休めて、
「どれどれ」
と仕立物を手に取り、どうせ分るはずもないのですが、いかにもまじめな、心得ているような顔付きで、をいじったり、おくみの剣先を調べてみたりした上で、
「結構です、よく出来ました、おめでとう」
と褒めて祝ってくれます。

春秋の時候のいいころには、おじいさん夫婦がご自慢のお縫子たちをつれて、野遊び、今なら遠足とか、ハイキングとかいうのでしょう――に出かけます。禿頭の大きなおじいさんと白髪頭の小さなおばあさんが、島田や桃割れに、赤い帯をしめた若い娘たちをつれ、水のぬるんだ那珂川の土手伝いに、おじいさんのおどけた話に賑やかな笑い声をたてながら、摘み草などに興じ、いずれ昔のお弟子か何かでしょう、庄屋らしい大きな百姓家に休んで、お茶を貰ってお弁当を開いたりしたものです。
こういったいきいきとした話がいいんだな。
石川のおじいさんは、いかにもそこらへんにいそうでしみじみと涙が出る。

幕末の動乱期ゆえ、習い事、家事、台所事情などに関するほっこりイベントと、血で血を洗う内訌の残虐さが同居している。後半は殉難に遭った藩士と家族の逸話モードに移行。

当時の女にとって、家庭は教室でもあり、職場でもあり、哺育所でもあり、養老院でもあり、いっさいを意味していました。女たちはそこで子供を育て、年寄をいたわり技能を習得し鍛練もされました。

私がここに紹介したのは、(中略)一口に「女子供」として問題にされなかった平凡な家庭の女たちであり、その生活であります。それらの人々の夫や息子は、時を得て志士となり時を得ずして逆賊または朝敵として痛ましい最後を遂げました。しかしどちらの場合にも、黙々として働く女たちの忍苦と犠牲には変りがありませんでした。(中略)
そういう住みにくい世の中、烈しい時代を静かに、力強く生き通して、はるかに明るく、生きよい時代の土台を作っていった私たちの前代または前々代の親愛なるおばあさんたちに、深い敬意と感謝を表しながらこの筆をおくことにいたします。

巻末解説、千世の佇まいがいかにもお武家の女子。