評価:B+
【概要】
1940年前後の経済改革が戦後日本にもたらした功罪を説く。経済の不連続点は1945年でなく1940年前後であった。閉塞感に満ちたいま、人にきびしくもあたたかい、そんな制度設計に向けての見直しが必要だ。
【詳細】
豊富な統計データや種々の文献(日本銀行法(改正前)、大正年間の『労働調査報告』)を交え、
日本経済の特質と考えられているものは、もともと日本にはなかったものであり、戦時経済の要請に応えるために人為的に導入されたものである。ことを主張する。
主として1940年前後に構築された
「企業と金融」(資金[調整・運用・融通]令シリーズ)
「官僚体制」(〇〇事業法シリーズ、地方税制調整交付金制度)
「土地改革」(借地法・借家法、食糧管理法)
を柱とする「1940年体制」。
高度成長時にはきわめて有効に働いた局所最適解も、今や賞味期限切れ。
変革の時来れり(と言い続けて2,30年の歳月が過ぎた)。
問題は、高度成長が終了した後も、そこからの転換がなされなかったことである。現在に至るまで、何度か改革が求められながら、この体制は変わらなかった。いま、この体制が未来に向かっての大きな桎梏となっている。
(経済的な制約でなく、制度的な制約が発展を阻害しているのである)
日本型システムが日本の長い歴史や文化に根差しているとの考えは、往々にして、「だから変えられない」という運命論に結びつきやすい。(中略)
本書は、これに対して、現在の経済体制は日本の歴史においても特殊例外的であり、したがって原理的には変革可能であるという認識に立つ。
これが1940念体制の桎梏だ!
そう、これの裏返しが答えだ!
日本にとって望ましい経済の姿は、現状と比べて、つぎのような特徴をもつことになる。①新しい産業が日本をリードし、また低生産性分野の合理化が進んでいる。②公共投資が拡大され、資源配分が海外投資から国内資本整備に転換している。③現在よりさらに円高が進み、消費者の実質消費が増えている。
人間や生活基盤(交通網、電信柱、狭い道)、未来への投資は勿論のこと、
農産物価格、不動産貸借契約 金融の護送船団方式など、
低生産部門を延命させるぬるま湯制度の規制緩和を進めていこう。
閉塞感に満ちたいま、人にきびしくもあたたかい、そんな制度設計に向けての見直しが必要だ。
多様性や失敗、生きて呼吸している人間に対し寛容な社会であってほしいと願うばかりである。
なお、
「1940年体制は、総力戦のために生産力を強化するというだけでなく、社会政策的性格をあわせもっていた」
という点にも注目したい。
(高度成長期の)政府の基本的な役割は、経済成長に伴う社会的摩擦を最小限に食い止めるための後向きの調整であった。ただし、その役割は重要であった。なぜなら、高度成長とは本来は不均衡成長であり、所得格差、地域格差が拡大するはずのものだからである。