評価:B+
【評】
平家のうら若き公達のビルディングス・ロマン。飾り気がなくてよい。
淡い恋や戦陣を通じ成長していく公達君の姿に瞠目しよう。
騎手を慕って海中に入る馬、馬首を愛撫する騎馬武者の姿もグッド。
七月十七日<門前の惨劇>
私はこういう誤謬を憎む。
そして父の勇敢でなかったことは父のために気の毒であったと思う。
七月十九日<われらの六波羅>
改築された朱雀門の大柱のほぞには、私の幼いときの名前が三つも書いてある。
七月二十五日<都落ち>
私は馬上で居眠りをしがちであったので、しばしば侍たちに注意された。
七月二十五日<荒廃の旧都>
軒が曲がり、屋根に大きな穴があいている。その穴から夜空と月が眺められる。
八月十九日夜<月下の逢瀬>
私は彼女の純情に感動すべき筈であったが、それよりも彼女の衣服や頭髪のにおいによって有頂天になっていた。
八月二十二日<武門の誉れ>
私の頬ひげは手のひらで触るとざらざらするくらいに濃くなっている。私はまだ一度も敵兵の首を斬りおとした経験はないが、遠矢の距離に於て敵の楯を深く射あてたことがある。
九月二十四日夜<篝火の記憶>
私が日記を書くときいつもそうしてくれるように、小太郎は私のために篝火をたいてくれた。私はその篝火の明るみで今宵もこの日記をしたためる。
九月二十七日<海に沈む愛馬>
私の愛馬であった。その死骸を船ばたから海に棄てるとき、どぶんという音がすると同時に私の胸は痛く締め付けられるようであった。
九月二十九日<鬨の声>
私の訓示が終ると軍勢一同、再び「ウッフーイ」と鬨の声をあげた。それは軍勢一同が、私に深く誠忠を誓ったしるしの叫び声なのである。
二月七日<喪失>
しかしながら、いつも焚火の見張をしてくれた宮地小太郎は、もはやこの世のものではない。
なぜ日記は三月五日で終わっているのか?
①若大将、矢傷で死亡した
②六日以降書くのをやめた/その暇がなくなった
③書いたけれども散逸した
④書いてあるが鱒二が掲載しなかった(という設定)
『ジョン万次郎漂流記』
吉村昭の『漂流』にエピローグをつけたら、時代のめぐりあわせが良かったのかそっちが本編になっちゃった話。
キャプテン・ホイットフィールドのいい奴ぶりと万次郎のインタナシオナルなコミュニケイシオン・スキルに涙せよ。
『二つの話』
発想は良いが試作の域を出ない。