【概要】
著者(監督):村上龍
半自伝的小説。佐世保の進学校の高校生たち、不純な動機と若気の余剰を拠り所として、バリケード封鎖、フェスティバル、儚い恋に突っ込んでいく。
主人公と著者にはどれくらいの相似性があるのか。わかったように文学・哲学・思想・映画・音楽をまくし立て人を煙に巻くスタイルはちょっと憧れる。
【詳細】
- 時折活字の列に現れては目を引く大フォント(立原道造、中原中也)、登場人物の長崎弁、「~というのはもちろん嘘で」と自身を韜晦する文体が特徴的。
- アダマ加入による亀裂やバリ封後の束の間の解放感など、青春の影と光を描きつつも、著者の「楽しんで生きないのは、罪なことだ」などの言葉にもあるように基本的にはおもしろおかしく進行する。
- エピローグで登場人物のその後が描かれるので二度おいしい。
- 『限りなく~』しか読んだことがなかったが、村上龍をこれから開発していく。
<笑い>
「小学一年生で憶える漢字だけで成立する異常に簡単な名前」
「シュミーズを見つけてからは、全員がパニックになり、指紋の注意も忘れて遺留品探しに熱中した」
<時代性>
- めっちゃ殴る教師たち
「ファントムの爆音を毎日聞いている高校生は、弱々しいフォークソングなんか屁以下だと知っているのだ」
「下宿の部屋にはヘルメットと角材とビラがあり、化粧気のないブラウスとジーパン姿の女がいて、僕たちは吉田拓郎を聞きながら、サッポロ一番塩ラーメンを食べた」
<著者のメッセージ>
- 楽しんで生きないのは、罪なことだ。