評価:B+
【評】
中期太宰。戦時中もひとり旺盛な文筆活働を続けていたらしい。
『右大臣実朝』『惜別』を収める。
『右大臣実朝』
付き人が語る将軍家の思ひ出。太宰お得意の告白体で描かれている。
カタカナで記された実朝のセリフと和歌に注目。
ex.) 「平家ハ、アカルイ」「ナンニモ、スルコトガナイ」
典雅で長閑、だけどどことない滅びの香りが漂っている。
その御様子が、私には神様みたいに尊く有難く、ああもうこのお方のお傍から死んでも離れまいと思いました。どうしたって私たちとは天地の違いがございます。全然、別種のお生れつきなのでございます。
あとコイツらのセリフがものすごくダザイっぽかったので抜粋。
宗政
「なあんだ、こんなふうでは今後、身命を捨て忠節を尽すものが幕府にひとりもいなくなります、ばかばかしいにも程がある(以下略)」
公暁禅師
「そんな努力は、だめだめ。みんな、だめ。せいぜい、まあ、田舎公卿、とでもいうような猿に冠を着けさせた珍妙な姿のお公卿が出来上るだけだ」
『惜別』
若き日の魯迅と主人公が出会う。ビルドゥングス・ロマンってやつか。
それは勿論、あの周さんの大きい人格の然らしめたところであろうが、他にもう一つ、周さんと話をしている時だけは、私は自分の田舎者の憂鬱から完全に解放されるというまことに卑近な原因もあったようである。
「あの日、制帽をかぶって来ない新入生が二人いました。ひとりは、あなたで、もうひとりは、僕でした」
ナニコレ? ラブコメ?
勉強しなければならぬ。もっと、もっと、勉強しなければならぬ。
お別れとなると、さすがに淋しかった。汽車で上野を出発して、日暮里という駅を通過し、その「日暮里」という字が、自分のその時の憂愁にぴったり合って、もう少しで落涙しそうになった。
とにかく、私はあの夜、周さんの打明け話を聞いて、かなり感動した。
つねに目がさめている事が、文明の本質です。偽善を勘で見抜くことです。この見抜く力をもっている人のことを、教養人と呼ぶのではないでしょうか。
医学と文芸と革命と、言いかえれば、科学と芸術と政治と、彼はこの三社の混沌のに渦に巻き込まれたのではあるまいか。(中略)
しかし、ただ一つ確実に知っているのは、彼が、支那における最初の文明の患者クランケだったという事である。
「誰も知らない事実だって、この世の中にあるのです。しかも、そのような、誰にも目撃せられていない人生の片隅に於いて行われている事実にこそ、高貴な宝玉が光っている場合が多いのです。それを天賦の不思議な触覚で捜し出すのが文芸です。(中略)
文芸がなければ、この世の中は、すきまだらけです。文芸は、その不公平な空洞を、水が低きに流れるように自然に充溢させて行くのです。」
だんだん太宰なのか魯迅なのか分からなくなってくる。