著者(監督):ドストエフスキー 訳:工藤精一郎
【概要】
(上巻)
19世紀後半のロシア。貧しさと渾沌の時代に産み落とされたラスコーリニコフ。
熱に浮かされたような衝動と苦悩の双極、とめどない饒舌な会話。作家性と時代性がこれでもかと顕現している。
罪は犯された。罰はいかにして与えられるのか。待て下巻。
(下巻)
熱病に冒されたような絶望と苦悩の日々。狭まる捜査網のなか、ピョートルの非を暴き、母妹をラズミーヒンに託し、ソーニャへの想いに気付き、大地に接吻し、ラスコーリニコフ青年は罰を受ける。主人公の内面や行動に賛同はできないが、いろいろな読みや思考を促すあたりはさすが総合小説とでも言うべきか。面白いところと面白くないところの疎密が激しいので、後者は高速で読み飛ばすべし。
【詳細】
<あらすぎなあらすじ>
居酒屋マルメラ、やせ馬撲殺の夢、醸成していた歪んだ正義感、自身と家族の困窮、そしてワンチャン。高学歴ニートが老婆に斧を振るった。
「良心」から自白への誘惑にたびたび駆られるも果たせず。
非凡人論、マルメラおじさん臨終、ラズミーヒンへ託す母と妹、妹とソーニャの誇り、母のやさしい言葉、聖母ソーニャの言葉。
数々のイベントを経て、彼は大地に接吻する。
<感想>
- 自分もボンビーだっただけに、マルメラ一家や主人公の窮状設定がうまい。
- サスペンス要素は緊迫感があり犯人側の推理小説とも読める。
- 殺害前後の悪寒や苦悩、恐怖がリアル。虚栄と真実、確信と苦悩など双極的に感情が揺れ動く。
- 饒舌な文体は相変わらず。どうでもいいシーンも熱量がある。シーンによっておもろさの疎密があるので、眠いところはとばしてもいいかも。
- 農奴解放や社会主義の勃興など激動する社会精神、ロシア的宗教心のありかたなどのドスドステーマが見える。
<セリフ集>
「悲しみさ、悲しみをおれはびんの底に求めたんだ、悲しみと涙、そしてそれを味わい、それを見つけたんだ」
「きみの内部には、こんなけがらわしさやいやらしさが、まるで正反対の数々の神聖な感情と、いったいどうしていっしょに宿っていられるのだ?」
「ひんまがった燭台のろうそくはもうさっきから消えそうになっていて、不思議な因縁でこの貧しい部屋におちあい、永遠の書を読んでいる殺人者と娼婦を、ぼんやり照らしだしていた」
「あなたは品性下劣な悪い人です!」
「あんた方はみんな、みんな、どいつもこいつも、この娘の小指ほどの価値もありゃしない!」
「しかし、いったいどうしてあの人たちはおれをこんなに愛してくれるんだろう、俺にはそんな価値はないのに!」
彼は不意にソーニャの言葉を思い出したのである。
《十字路へ行って、みんなにお辞儀をして、大地に接吻しなさい。だってあなたは大地に対しても罪を犯したんですもの、それから世間の人々に向かって大声で<わたしは人殺しです!>と言いなさい》彼はこの言葉を思い出すと、わなわなとふるえだした。彼はこの間からずっとつづいてきた、特にこの数時間ははげしかった出口のないさびしさと不安に、すっかりうちひしがれていたので、この新しい、そこなわれない充実した感じが出口になりそうな気がして、夢中でとびこんで行った。(中略)
彼の内部にしこっていたものが一時に柔らいで、どっと涙があふれ出た。彼は立っていたそのままの姿勢で、いきなりばたッと地面に倒れた……