Javaさんのお部屋(サム・ジーヴァ帝国図書館)

Javaさんのお部屋です。引っ越しました。詳しくは「はじめに」を読んでね。スマホ版は全体像が見えにくいから、PC版と切り替えながら見てね。

東洋的な見方

著者:鈴木大拙 編:上田閑照
評価:B+

【評】
「東洋文化の意義を高揚したい」禅爺(ZEN-G)。 
「われわれ東洋人の心理は、知性発生以前、論理主義万能主義以前の所に向って、その根を下ろし、その幹を培うことになった」。

95や96になってもボケずにものを書いているのが偉い。
here-nowや盟友・西田の「絶対矛盾自己同一」といった言葉、お気に入り妙好人・才市の日記を使いながら、
禅ならび霊性的行為の妙味を解説していく。

<here-now[即今]、一念は、いま、ここにある>
このただいまを無限そのものだと悟るとき、零すなわち無限の式<0 = ∞>が成立する。

日に新たにして、また日に新たなる時間、年年歳歳人も花も同じからざる時間、この移りてやまざる時間に生きること、そのことが永遠の生命なのである。
<妙を英語で言うと>
O wonderful,
Wonderful,
and most wonderful wonderful!
and yet again wonderful
...
Shakespeare
As you like it: Act 2, Scene 3 


<行って、帰ってくる>
まだ禅にはいらない前は、山は山、水は水であった。
少し禅をやるようになったら、山は山でなくなり、水は水でなくなった。
ところが、修行もすんだということになったら、山はまた山、水はまた水になった。

⇒つまり、

分別を徹底させて自覚まで到達させたら、それから却来してまた分別に還らなくてはならぬ。往相廻向は還相廻向しなくてはならぬ。すべての霊性的運動は円環性である。


<日本人に告ぐ>
都合25年外国にいたDaisetzが言う。

ひとりよがりではいけない。特に西洋人の思想と背景、伝統などをよく、しらべて、おかぬと、伝統の禅だけでは役に立たぬ、どうしても、しっかりした思想の背景が要る
外国に関する知識、環境に対する十分なる報道を持ち得ない国民は、己惚れになり、馬鹿になるよりほかない。

日本人の心に弱点と見られるものの目につくのは、分別性をあまりに軽んずるからである。(中略)
日本人の情熱余りあって、思量に乏しきは、ここから始まるのである。

「自由」とは、自らに在り、自らに由り、自らで考え、自らで行為し、自らで作ることである。
そうしてこの「自」は自他などと言う対象的なものではなく、絶対独立の「自」――「天上天下唯我独尊」の、我であり、独であり、尊である――であることを忘れてはならぬ。