Javaさんのお部屋(サム・ジーヴァ帝国図書館)

Javaさんのお部屋です。引っ越しました。詳しくは「はじめに」を読んでね。スマホ版は全体像が見えにくいから、PC版と切り替えながら見てね。

釈尊の生涯

著者:中村元
評価:B+

【評】
「ゴータマ・ブッダ釈尊)が実際にどのような生涯を送ったか、そのあとを能うかぎり明らかにしようとするのが、この書の目的である」。
なるだけ古い典籍のなるだけ古い章句に依ったとのこと。

<問題点>
彼の一生は外面的には平穏そのものであった。したがって受難ということが大きな意味をもたぬのであるが、しかしそれよりも以上に重要なのはインド人一般ないし仏教徒の思惟方法であろう。インド人は一般に個別的な事象よりも普遍的な理法を重んずるが、仏教徒も永遠に普遍的意義ある法(ダルマ)の意義を強調したために、歴史的人物としてのゴータマの個別的な事跡は、神話的な象徴と空想の背後に隠されてしまったのである。

<旅路>
若き青年ゴータマ・ブッダはこのような頽廃的・破壊的な思想にくみすることができなかった。彼は善を求め、道を求めた。彼のこの踏切りのなかに、後世仏教が偉大な建設的宗教として発展するにいたる萌芽を認めることができる。

過去の生涯を思い起こす智に心を向けた。かくして我は種々の過去の生涯を思い起こした。すなわち、『一つの生涯、二つの生涯、三つの生涯、四つの生涯、五つの生涯、十の生涯、二十の生涯、三十の生涯、四十の生涯
、五十の生涯、百の生涯、千の生涯、百千の生涯を、幾多の宇宙成立期、幾多の宇宙破壊期、幾多の宇宙成立破壊期を。我はそこにおいて、これこれの名であり、これこれの姓であり、これこれの種姓であり、これこれの食をとり、これこれの苦楽を感受し、これこれの死に方をした。そこで死んでから、かしこに生まれた』と。
<社会情勢>
都邑から遠からず、近すぎず」という限定は、原始仏教の社会性を理解するために非常に重要である。原始仏教に帰した人々は王族・商人・手工業者などであり、大体都市人であった。しかし都市的生活をそのまま肯定したのではなくて、都市的生活の否定態において原始仏教の出家者集団は成立していたのである。

かかる商業資本家が仏教に帰依し共鳴し、それによって仏教教団が急速に進展していった ということは、呪力による支配(バラモン)および武力による支配(王族)を駆逐して四民平等を実現することは、経済的視点から見るならば、経済外強制の排除ということにほかならないから、当時台頭しつつあった商業資本家の理想に合致するものであったのである。
<名言集>
「この世でみずからを島とし、みずからをよりどころとして、他人をよりどころとせず、法を島とし、 法をよりどころとして、他人のものをよりどころとせずにあれ」

「この世界は美しいものだし、人間の命は甘美なものだ」
<おわりに>
単調に見えるほど平静な心境を保って、もの静かに温情をもって人に教えを説く。些細なことを語るときにも、非常な重大事を語るときにも、その態度は同様の調子であり、すこしも乱れを示していない。広々としたおちついた態度をもって異端をさえも包容してしまう。仏教が後世に広く世界にわたって人間の心のうちに温かい光をともすことができたのは、開祖ゴータマのこの性格に由来するところが多分にあると考えられる。
さういふものに わたしはなりたい。