Javaさんのお部屋(サム・ジーヴァ帝国図書館)

Javaさんのお部屋です。引っ越しました。詳しくは「はじめに」を読んでね。スマホ版は全体像が見えにくいから、PC版と切り替えながら見てね。

美徳のよろめき

著者:三島由紀夫
評価:B

【評】
倉越夫人はまだ二十八歳でありながら、まことに官能の天賦にめぐまれていた。非常に躾のきびしい、門地の高い家に育って、節子は探究心や理論や洒脱な会話や文学や、そういう官能の代りになるものと一切無縁であったので、ゆくゆくはただ素直にきまじめに、官能の海に漂うように宿命づけられていた、と云ったほうがよい。

彼女の心理の流れを丹念に追う。
「美徳」の顛倒が起り、土屋の「道徳的な潔癖さ」に歓喜し、そして…。
一見論理的に見えながら、微分するとその飛躍が露わになるその心理、君は読み取れたか?

どんな邪悪な心も心にとどまる限りは、美徳の領域に属している、と節子は考えていた。そこで、現実の行為は、どんなにやさしく、愛らしい、無邪気な形をとっていても、悖徳の世界に属していた。自分が土屋の体に触れた時の、あのやさしさ、あの自然さ、あの無邪気さが、こうして節子をおののかすことになった。節子の内部には、感情の価値の混乱が起った。どんな邪悪な空想も心を苦しめることがなかったのに、久々に味わったやさしさや無邪気さが、良心の痛手になるのだとすれば、一歩進んで、彼女は冷たい打算や身勝手な計画を美徳と見なし、やさしさ、無邪気さ、などの明るい感情を、悪徳と感じなければならなかったからである。

今では節子は自分の思いがけないやさしさ、自然な情愛、無邪気な愛撫をも憎んだ。良人のためにとっておいたその反対のもののほうへ、無理にも引返そうと力めた。すなわち感情の砂漠と、空想のみだらさのほうへ。果てしれぬ永い午後の無為の時間のほうへ。

でも、だめだった。

節子はそんな風にして、もともと穏健な躾のよい考え方から出発しながら、世にも危険な毒のある思想に染まっていくことに気づかなかった。それはただ怖れにすぎぬのかもしれなかった。ひたすら過去の空想の甘味ばかりを追って、未来の無邪気さ、やさしさを、怖れていた。そればかりはでない。はじめて土屋の愛が不安になったのである。
そして…
この青年に身を委したという自分の精神的姿勢だけで満ち足りていたのである。節子はこのとき、何に似ていたと云って、一等、聖女に似ていただろう。

彼女はこの瞬間、色情の裡にひそむあの永遠の、癒しがたい不真面目さに直面した。現実の煩雑な、また厳粛な問題のかずかずに、のこらず目つぶしを喰わせてしまう不真面目さを。……節子は拒もうとした。しかし果たさなかった。そしてこんなにも多くの配慮と気むずかしさと、潔癖さとにみんな逆らって、今埋もれてゆく世界の豊かさに身を委ねた。

苦痛の明晰さには、何か魂に有益なものがある。どんな思想も、またどんな感覚も、烈しい苦痛ほどの明晰さには達することはできない。よかれあしかれ、苦痛は世界を直視させる。

この日の午餐で節子ははっきり別れる決心がついた。
彼女はすでに偽善を意識して、それを愛して、それを選んでいた。偽善にもなかなかいいところがある。偽善の裡に住みさえすれば、人が美徳と呼ぶものに対して、心の渇きを覚えたりすることはなくなるのである。望むらくはそれがまた、あらゆるj渇きを止めて……。

そしてユッキィお得意の耽美レトリック。
その一部をここに紹介する。

……遠い貨物列車の警笛を聴く。その音が夢に入って泣き声になったのか、あるいは夢の泣き声が夜の遠くに駈け去って、あの汽笛にまぎれてきこえるのかと思う。

節子は自分のいかにもなだらかな美しい肩の線を、心に思い描く必要がなかった。土屋の唇が、その線を忠実になぞったからである。

ひとつの峠を越すと、恋も亦、一つの家を見つけるようになる。感情の家庭が営まれる。会わずにいるあいだのお互いの動静は何も問わずに、一つの透明な、目に見えぬ家に、あいびきのたびに住むようになる。

……思い出を富ますために、どんなにいつも、偶然がいたずらをしてくれるか計り知れない。

節子は上からこれを眺めて、彼の五体の占めている空間と、彼に会わぬあいだにひろげていた恋の空間との、あまりの差におどろいた。一人の人間が別の人間にとって必要である度合、その度合によってどんなにでも不公平になる世界を見た。

与志子は女にはめずらしい美徳をもっていた、聴き手になることのできるという美徳を。

また、松木翁をして語らしめた、
「精神を凌駕することのできるのは習慣という怪物だけなのだ」
にも注目すべし。

巻末、北原武夫の解説もなかなか面白い。
本作の評価にはじまり、三島と谷崎との共通点を経て、
「聖女」の意味が汲み取れない輩にはお引き取り願おう、と最後に言い放つ。
私も完全にその意味が理解できたわけではないので、この言葉には狼狽したね。