評価:B
【評】
私はなるたけ自分の好みや偏見を去って、あらゆる様式の文章の面白さを認め、あらゆる様式の文章の美しさに敏感でありたいと思います。
私はブルジョア的嗜好と言われるかもしれませんが、文章の最高の目標を、格調と気品に置いています。
というわけで、こう書きなさい!系ではなく、オレが思うイイ文章ってのはこんなのさ!系の文章読本。
彼の日本文学論、文化論ともいえる。
日本文学はよかれあしかれ、女性的理念、感情と情念の理念においては世界に冠絶しているといってもよろしいでありましょう。
日本語の特質はものごとを指し示すよりも、ものごとの漂わす情緒や、事物のまわりに漂う雰囲気を取り出して見せるのに秀でています。
われわれが漢訳の外国語によって得たものは、概念の厳密さよりも、その概念を自由に使いこなす日本的な柔軟性をわれわれのものにしたというにすぎません。ここから概念の混乱が起り、日本人の思考の独特な観念的混乱が生じたのであります。
昔の人は本を味わうと言えば、まず文章を味わったのであります。(略)
小説はそのなかで自動車でドライヴをするとき、テーマの展開と筋の展開の軌跡にすぎません。しかし歩いていくときに、これらは言葉の織物であることをはっきり露呈します。つまり、生垣と見えたもの、遠くの山と見えたもの、花の咲いた崖と見えたものは、ただの景色ではなくて、実は全部一つ一つ言葉で織られているものだったのがわかるのであります。昔の人はその織模様を楽しみました。小説家は織物の美しさで人を喜ばすことを、自分の職業的喜びといたしました。
風景描写にかけては、日本の作家は世界に卓絶した名手だということができましょう。
引用される鷗外、鏡花、川端、谷崎その他海外作家の小説、戯曲、評論などから、三島の嗜好・思考が汲み取れる。やっぱり鷗外が大好きらしい。