評価:B
【評】
東洋・西洋の賢者の足跡をたどりつつ、「私」とは何かを考える。
西洋的「私」のおこがましさ、危うさに警鐘を鳴らす。
他者の存在が、己の経験があってはじめて、「私」が意識されるのである。
「私」に「私ならざる」切れ目が入り風が通って、開けた広いところから、あらためて「私です」。その際、「私」の「私ならざる」ところは、「私ならざる」他者をうけいれ、自然に満たされる脱自的空間になっている。
意味の総枠としてのまとまりをもった世界には限りない余白があり、世界であるところの意味連関の織物にはそこなき行間があると言うことができるであろう。私たちがそこにいる世界には余白と行間がある。「外は広く、内は深い」と鈴木大拙は言う。
が、一冊の本としては雑多で、寄せ集めの文章といった印象はぬぐえない。