Javaさんのお部屋(サム・ジーヴァ帝国図書館)

Javaさんのお部屋です。引っ越しました。詳しくは「はじめに」を読んでね。スマホ版は全体像が見えにくいから、PC版と切り替えながら見てね。

イスラーム哲学の原像

著者:井筒俊彦
評価:A

【評】
神秘主義と哲学の結婚。
『意識と本質』のイスラーム部分の掘り下げといっていい。
唯識論、仏教道教宋学など東洋哲学に底流する、「存在の深みに行って戻ってくる」という考え、p.56の逆三角など、井筒感あふれる著作だ。

「観想によって開けてくる意識の形而上学次元において、存在を窮極的一者として捉えた上で、経験的世界のあらゆる存在者を一者の自己限定として確立する立場」である、

「存在一性論」は十三世紀以来現代に至るまで、イスラーム哲学発展史の舞台としてのイランにあって支配的位置を維持し続けた大思想潮流であって、この思想の構造を、その形而上学的体験の深部にまで掘り下げて考察することによって、人はイスラームそのものの内部にひそむ哲学的問題性にじかに触れ、イスラーム哲学の基底にあるものを垣間見ることができるのである。

未分節への階梯を下って行く神秘家たち。

一つ一つのイマージュ、あるいはイマージュ群は、スーフィーにとって自分が今観想修行の道程のどの段階にいるかを知るための最も確実な手がかりであります。

スーフィズムは魂の深みについて語ります。つまり意識の深層を認めまして、しかも深層からしだいに下がって一段一段とより深い層に降りていくというようなことを申します。(中略)意識を多層的な一種の立方体として考えるのでありまして、これが今申しました意識の構築的モデル構築であります。

観想状態において開かれる意識のこの新しい地平に、そしてそこにのみ存在の深みが開示される、ということは、神秘家たちのゆるがすことのできない確信でありまして、彼らにとってはそれが観想体験の実在認識的な価値あるいは意義であります。

「存在」、つまり絶対無限定的な存在そのものを頂点において、その自己限定、自己分節の形として存在者の世界が展開する。

日常的経験的意識から出発して、ついに意識のゼロ・ポイントに達し、そこからまた目覚めてしだいに経験的意識に戻ってくる。つまり人間的主体がしだいに戻ってくると、ここではじめて神秘主義的主体は哲学し始めることができるのであります。

定番の「アナルハック」と「アンタとはアラビア語で「汝」ということ」がツボだった。