評価:B+
【粗評】
京都学派×宗教哲学。
「亡き妻の記念に」が効く。
脳内に哲学回路を構築したいキミに。
序盤の「自然的時間性」の躍動感でつかみはOK.
「壊滅」「突進」「墜落」「驀進」「葬り去る」「消え失せる」「絶望の淵に沈む」
などの厨words&phrasesが光る。
自然的性の無慈悲で自滅的な時間性を克服すべく、賢人の思想を吟味・奮闘。
最終的には神の愛を受け止めればいいんだよ! となんだか感慨無量の精一。
<Before>
全く孤独に陥った主体、去るあるのみ待つもの来るものの全くなくなった生は滅びる外はない。主体のかくの如き全面的徹底的壊滅こそ死である。
生ずるは滅ぶるであり、無は有に等しく、生の意味の実現も達成されず、一切が果無き幻におわる処、しかも主体がこの事態を自らの力をもっていかにともなし得ぬ処には生の意味の否定、幸福の喪失、空虚の感、不安哀愁落胆などは避け難き帰結である。
↓
<After>
自ら愛の主動者であろうとした間は愛は自己陶酔の夢に過ぎなかった。他者の愛に一切を委ね打ち任せることによってはじめて愛は従って永遠性は現実となるのである。
窮みなく湧き出る将来の泉よりいつも新鮮なる存在を汲み受けつつ、いつも若き現在の尽きぬ喜びに浸る――これが永遠である。
やったね。
「実在的他者性」「客体面」などの
謎用語を一つ一つキッチリ定義していかないと道半ばで斃れる。
ただでさえ、
「目的論的論証」「自己の存在への存在に存する」
などいう哲学度2000%の文章で猛攻してくるのだから。
文字をしゃぶり尽くすように読んであげよう。ちょくちょくふりむいて確認してくれるので大体なんとかなるが。
あまり関係ないけど、
序盤の「自然的時間性」の議論を読んでいると、石段を連想しました。