評価:B
【粗評】
いわゆるA級戦犯7人の内に、一つだけ文官の名があった。
その名は、広田弘毅。
城山と広田の名を高からしめたであろう本書。
広田の年齢に沿って、
主に東アジアにおける外交交渉や軍事衝突など、WW1~日中戦争までの流れを概観。
物来順応――重い役割に向って、広田は腰を上げた。
風車、風の吹くまで昼寝かな。その風が吹いてきた。はげしく強まるであろう風が。短かった「昼寝」を終り、風車は思いきり回転しなければならない。
物来順応の精神で、ひたすら自分から求めることはなかった彼は、
東アジアの緊張が最高潮に高まった時に外相3回、首相1回を務めたが、
結局軍部を抑えきれず日中・日米開戦を避けることはできなかった。
そして、にっくき軍人たちとともに従容として絞首台に立った。
パパのおてがみがハートにグサリ。
でも、いくら偽善的な政治裁判とはいえ、だんまりを通したのはどうなんかなあ…(・ε・)
【学んだこと、生かしたいこと】
物来順応
【その他・リンク】
月・成功太郎