【概要】
著者(監督):井上ひさし
被爆者の父娘の情愛を描いた演劇。シンプルにええ話。めちゃ短いが、劇場だといい感じの分量かも。説教臭さがあまりなく、それでいて原爆の惨禍は伝えつつ、死者への鎮魂と残された者の生きる意味、そして希望が短めの尺の中に無理なくちりばめられている印象。
福吉美津江エプロン劇場「ヒロシマの一寸法師」で描かれる原爆炸裂の情景や、娘・美津江の応援団長と化した父・竹造とのドタバタ劇、広島弁でのユーモアある掛け合い(「おとったんたら!」)など、短編ながらも見どころ大。
舞台で際立つであろうイマジナリーおとったんの存在感は大きく、「なんか用か、九日十日?」などの台詞に見られるおとったんのひょうきんさに救われる。文章でも面白いが、ぜひとも舞台で鑑賞してみたいところ。いろいろな仕掛けには著者が言うところの「劇場の機知」を感じられる。
【詳細】
<メモ>
美津江 「話をいじっちゃいけんて! 前の世代が語ってくれた話をあとの世代にそっくりそのまま忠実に伝える、これがうちら広島女専の昔話研究会のやり方なんじゃけえ」
竹造 ……非道い(どえりゃー)もんを落としおったもんよのう。人間(にんげ)が、おんなじ人間の上に、お日(ひー)さんを二つも並べくさってのう
美津江 あんときの広島では死ぬるんが自然で、生きのこるんが不自然なことやったんじゃ。そいじゃけえ、うちが生きとるんはおかしい」
美津江 うちよりもっとえっとしあわせになってええ人たちがぎようさんおってでした。そいじゃけえ、その人たちを押しのけて、らちがしあわせになるいうわけには行かんのです。うちがしあわせてなっては、そがあな人たちに申し訳が立たんのですけえ。
竹造 いんにやー、病気じゃ。(縁先に上がる)わしゃのう、おまいの胸のときめきから、おまいの熱いためいきから、おまいのかすかなねがいから現れよった存在なんじゃ。そいじゃけえ、おまいにそがあな手紙を書かせとってはいけんのじゃ。
竹造 おまいは生きとる、これからも生きにゃいけん。そいじゃけん、そよな病気は、はよう治さにゃいけんで。
竹造 ほいじゃが。あよなむごい別れがまこと何万もあったちゅうことを覚えてもろうために生かされとるんじゃ。おまいの勤めとる図書館もそよなことを伝えるところじゃないんか。
美津江 (ひさしぶりの笑顔で)しばらく会えんかもしれんね。
おとったんの役目は終わった( ;∀;)