【概要】
著者(監督):鴻上尚史
この本は、「空気」と「世間」の正体をなんとか突き止め、「空気」と「世間」に振り回されない方法を探るための本です。
相手の正体が分かれば、過剰に怯えることもなくなるし、簡単に負けることもなくなります。
本書における「空気」は、「『世間』が、カジュアル化し、簡単に出現するようになった」もの。そして、「『世間』は中途半端に壊れていて、そして、この数年でさらに激しく壊れている」。「空気」はいわば、消滅しつつある「世間」が漏らした断末魔なのかもしれない。そもそも「世間」とは、日本が近代化する上で精神的支柱となったもので、合理性が貴ばれた近代以降の日本でも力をふるい続けて来たとのこと(西欧では唯一神がそれを担ったが、日本にはそこまで強固な宗教がなかった)。戦後にだんだん世間は壊れて空気化していき、まだ残っている(2009年の執筆時点でも)。
ところが、
「世間」のルールからはみ出ることの快適さを、日本人は知り始めたのです。
それは、経済的ではなく、精神的なグローバル化だと言っていいと思います。
メールの文頭の意味なき「お世話になっております」、いまだに行われる入社式、権利であるはずの年次休暇後の「すみません」、「つまらないものですが」に見られる過度なウチのへりくだり、聞き苦しいほどの「させていただく」の濫発…そういった実体のない(けれども確かな臨在感のある)「空気」に疲弊しきっている我々。近代西欧に範をとって近代化の道を選んでしまった以上、「世間」をかなり前から「社会」化していった彼らの人間関係の風味を取り入れて、少しずつラクな社会に変えていかねばならん。
ですます調の敬語をベースにしたフラットな関係構築、Webを通じた「複数の『共同体』にゆるやかに所属すること」が次世代の武器になると著者は考えているみたい。
日本人が「共同体」や「共同体の匂い」に怯えず、ほんの少し強い「個人」になることは、じつは、楽に生きる手助けになるだろうと僕は思っています」
阿部謹也や山本七平といった先達たちの「空気」レビューは興味深い。
【詳細】
<目次>
- 第1章 「空気を読め!」はなぜ無敵か?
- 第2章 世間とは何か
- 第3章 「世間」と「空気」
- 第4章 「空気」に対抗する方法
- 第5章 「世間」が壊れ「空気」が流行る時代
- 第6章 あなたを支えるもの
- 第7章 「社会」と出会う方法
<メモ>
〇阿部謹也
「世間」の基本ルール
- 贈与・互酬の関係
- 長幼の序
- 共通の時間認識
- 差別的で排他的
- 神秘性
〇山本七平
従ってわれわれは常に、論理的判断の基準と、空気的判断の基準という、一種の二重
基準のもとに生きているわけである。そしてわれわれが通常口にするのは論理的判断
の基準だが、本当の決断の基本となっているのは、「空気が許さない」という空気的判断の基準である。