Javaさんのお部屋(サム・ジーヴァ帝国図書館)

Javaさんのお部屋です。引っ越しました。詳しくは「はじめに」を読んでね。スマホ版は全体像が見えにくいから、PC版と切り替えながら見てね。

三島由紀夫 悲劇への欲動

三島由紀夫 悲劇への欲動 (岩波新書)

【概要】
著者(監督):佐藤秀明

ほぼ時系列で作品を概観しつつ、三島の作風の変化や心の原風景を再現しようと試みる。「前意味論的欲動」、それは「言語改善の欲望であり情念」。彼を生き急がせる幻影は消えることがなかった模様。複雑なようで単純な、観念的なようで肉体的な、三島の精神(肉体)世界に近づくことは可能なのか?

三島文学の崖は高くとも、岩肌は掴みやすく脆くない。急峻な崖であっても登れなくはない。表現者としてこのような崖を意図して築いたのは、人間世界の辺境にいつづけた人の哀しさだったのかもしれない。

 

【詳細】
<目次>

  • はじめに
  • 序 章 前意味論的欲動
  • 第一章 禁欲の楽園――幼少年期
  • 第二章 乱世に貫く美意識――二十歳前後
  • 第三章 死の領域に残す遺書――二十代、三十一歳まで
  • 第四章 特殊性を超えて――三十代の活動
  • 第五章 文武両道の切っ先――四十代の始末
  • 終 章 欲動の完結
  • 文献解題
  • 略年譜
  • おわりに

 

<メモ>

  • 幼少期の早熟ぶりや虚弱体質、大学での勤労動員や恋愛、新人時代の苦節と『仮面の告白』からはじまる脱皮、特殊性と全体性の狭間で変化し続ける作風、肉体改造とメディア露出の増加、さまざまな分野への進出、そして楯の会の結成、皇居突入計画の挫折、市谷駐屯地への突入──。評伝寄りの内容やな。
  • 著者、三島由紀夫文学館館長だったりする。行ったことあるけどなかなか地味めで閑静な感じのところやったで。ただ静岡三島駅から遠いので行きにくい!

www.mishimayukio.jp

 

三島由紀夫の活動が、彼の「前意味論的欲動」を軸にすることでどのように見えるのかを評伝として提示し、それを論じようというのが本書の目的である。「三島はなぜ死んだのか」という尽きぬ疑問にも、考えられるかぎりの答えを出したいと思う。

 

「愛国」に顕著に表れているように、三島由紀夫には、切腹や血に対する意味づけがたい、それ自体が目的としか思えない欲動がある。「身を挺してみる」「悲劇的なもの」の具象的嗜欲がそこにはある。

 

敗戦までの三島は、戦時の風潮からは距離を置いていたように見受けられるのだ。むしろ戦後になり、大いなるものに「身を挺する」状況が消滅すると、反時代的に自己の前意味論的欲動を表に出すようになるのである。

 

三島の個別性は、一見権力に進んで近づきながら、その権力の最も核心的な部分、最も痛い部分を思い切り衝くことで、権力の脆弱さを鍛えようとするところにまで至るのである。それは、身体的に劣っていた少年期の「規律訓練」を内面化して取り組んだ果ての、権力側からすれば想定外の内部叛乱であっただろう。

 

仮面の告白」を書いてしまった後の三島由紀夫は、人間の不可解な欲動を表現するのに躊躇しなくなった。それまでの作品は、前意味論的欲動の表現を抑えるためか、登場人物の心理や行為の根の部分を、文飾し朧化する作法を採っていた。

 

三島に引きつけて言えば、金閣の「美」とは、感受性であり幼年時代から持ち越した気質であり美意識である。それは太陽との出会いやギリシャ体験やボディビルによる自己改造によって「すりへらしてくる」べきものであり、「焼かなければならぬ」ものだった。いわば作者の実人生が成し遂げてきたことを、美という固定観念に取り憑かれた主人公を通して虚構化したのが『金閣寺』なのである。

 

世界崩壊」や「この世のをはりの景色」や「人類全体の安楽死」の想念は、三島由紀夫を支えてきたもう一つの前意味論的欲動であったにちがいないのである。それは認識者であり芸術家である三島と深くつながっている欲動である。三島は『豊饒の海』の最後で、本多にこれを託した。

 

三島文学の崖は高くとも、岩肌は掴みやすく脆くない。急峻な崖であっても登れなくはない。表現者としてこのような崖を意図して築いたのは、人間世界の辺境にいつづけた人の哀しさだったのかもしれない。

 

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