Javaさんのお部屋(サム・ジーヴァ帝国図書館)

Javaさんのお部屋です。引っ越しました。詳しくは「はじめに」を読んでね。スマホ版は全体像が見えにくいから、PC版と切り替えながら見てね。

安土往還記

安土往還記 (新潮文庫)

【概要】
著者(監督):辻邦生

宣教師のオマケでついてきた冒険家(?)が、外国人視点で織田信長や戦国日本のあれやこれやを描写する(という設定)。フロイスやヴァリニャーノも出る。辻邦生、これくらいの分量だと読みやすい。
京都上洛から本能寺の変まで、信長が畿内での覇権を確立する過程を軸に、主人公や宣教師たちが信長に見たものはーーー? 国や立場は大きく違っていても、孤独を深めるがゆえに生まれる共感もある。

残忍な殲滅戦、安土城普請、花見、馬揃え、安土イルミネーション…市井の喧騒や絢爛な行事の描写はさすがというほかない。

私が大殿(シニョーレ)のなかに分身を見いだしたと言ったとしても、友よ、それを誇張とは受けとらないでくれたまえ。私は彼のなかに単なる武将(ジェネラーレ)を見るのでもない。優れた政治家(レプリカーノ)を見るのでもない。私が彼のなかにみるのは、自分の選んだ仕事において、完璧さの極限に達しようとする意志(ヴォロンタ)である。私はただこの素晴しい意志をのみ──この虚空のなかに、ただ疾駆しつつ発光する流星のように、ひたすら虚無をつきぬけようとするこの素晴しい意志をのみ──私はあえて人間の価値と呼びたい。

 

【詳細】
<メモ>

 

「 事が成る」を至上の善とする合理性オバケの第六天魔王。大殿のショーを見守る宣教師その他。布教、炊き出しボランティア活動、軍事顧問、政治・外交・科学技術・宗教コンサルタントとして活躍する語り手の男。

 

 

生死のぎりぎりの地点に立ち、「事が成る」というただそのことに力を集中して生きるその厳しさ、緊張、生命の燃焼に、強い共感をもっていたのだ。

 

 

『春の戴冠』のごとき、1581年の最盛期。
残忍な殲滅戦、安土城普請、馬揃え、安土イルミネーション…。絢爛豪華な戦国絵巻をとくとご覧あれ!

 

大殿がフロイスに好意をもち、オルガンティノと冗談を言うのを好み、のちに巡察使として日本に来た美貌のヴァリニャーノを愛したのも、彼らが
キリシタン布教というただその一事のために、幾年にもわたる危険な航海を冒して、はるばる遠い異国へきたそのひたむきな態度に打たれたからである。見知らぬ異郷の寒風のしみる破屋で説教し、病人たちに粥をあたえ、貧民に衣服をわけ、女子供を人買いから救いだすのに、彼らはただその生涯をかけたのである。大殿にとって、それは、合戦の道において、非情であるのとまったく同じことに思えたのである。大殿がしばしば「彼らこそはキリシタンの名人上手である」と言っていたのを私は耳にした
が、その真意はおそらくこうしたところにあったのであろう。

 

大殿は理に適った考えや行動を求め、また一つの事柄を成就させるために、自分や、自らの恣意などは全く切りすて、ひたすら燃焼して生きぬく人間たちに、言いようのない共感を覚えていたのだ。オルガンティノやフロイス師の辛苦や誠実は、いわばこうした生き方の証拠であるし、私が大
殿のなかに自分の似姿を感じるのも、そのような燃焼の激しさが、刻々の生活のなかで、こちらに伝わってくるように思えたからだ。
だが、それはあくまで寡黙のなかの友情にほかならぬ。それは孤独になるにしたがって――各人が虚無の闇のなかに立ちはだかるにしたがって――より一層深く結ばれてゆくといった種類の共感なのである。

 

近侍の一人が扇子のうえに銀子をのせて私に差しだした。彼は、躊躇し、はにかんだ様子をして、それでも足りぬほどだが、ヨーロッパ人に何をとらせるべきか、適当な思案がないので、それだけでも取っておいてほしい、と言った。私は銃に対する彼の異様な執着と、このような一瞬のはにかみとが、頭の中で一つにならずに、いつまでも残った。

 

石山本願寺攻め

激しい喚声、ぶつかり合う音、槍のひらめき、刀、血のしぶき、叫び、押し寄せる力、押し返す力、牡牛のような地響き、ふたたび銃声、切れ切れの叫び、ほら貝の音、走りゆく軍団、銃声、弾丸の唸り、地にう将兵たち、死体の群、そしてふたたび開始安される激突。突然、大殿の軍隊の退避がはじまる。それを追って三千の鉄砲が一斉に火をふき、煙が晴れぬうちに次の銃列が火をふく。

 

安土城

安土の宮殿は近くから見あげると、山の斜面を覆う繁みごしに、青い瓦屋根をそらせた七層の巨大な塔が、黒漆に黄金の窓飾りをつけた城廓の建物のうえに、壮麗な姿で聳えたっていた。山頂近く巨石を積みあげた石塁のうえに、銃眼をうがった眩しいほどの白い胸壁が宮殿の外廓をくっきりと際立てていた。宮殿そのものは華麗な印象を与えるにもかかわらず、その辺りには清らかな静けさが支配していた。時おり湖面を渡ってくる風が、斜面の繁みをさやさやと吹きかえして過ぎていった。

https://www.homemate-research-castle.com/useful/16956_tour_037/

 

▶お花見

宣教師館が完成した翌年の春、私ははじめて日本人たちが「花見」と呼ぶ野外宴に招かれたことがある。桜の大樹が群生したそのミヤコの郊外に、人々は幕を張りめぐらし、長椅子を置き、地面に緋毛氈を敷き、酒を飲み、美麗な箱から食物をとり、歌をうたい、手で拍子をとり、踊り狂い、肩を組んで練りあるき、大声でわめき、げらげら笑い、楽器をかきならすのを、私は眺めたのである。それはながいこと抑圧され、不安におののいていた人々が、一挙に戸外へ踊りでたような印象をあたえた。どこもここも白く桜花が咲きみだれていた。黒い幹に支えられて、空いっぱいに拡がる枝という枝、梢という梢に、淡い紅を含んだ白い細かい花が重なりあい、身を寄せあって、泡のように溢れていた。

 

春はミヤコといわず、安土といわず、大殿(シニョーレ)の治世を祝って華やかに花開いているような感じがした。

 

▶イルミネーション

どのくらいの時間がたったであろうか。私たちが宣教師館の二階の露台に待ちくたびれたころ、突然、安土山のうえに、一すじののろしが赤くするするとのぼり、闇のなかで乾いた鋭い音をたてて爆ぜ、湖の遠くへ反響した。と、それを合図に、突如として、暗闇のなかから、安土城廓の全貌が火に照らされて浮びあがったのである。私たちは思わず息をのんだ。何百、何千という篝火に、いっせいに火が入り、それが一挙に燃えあがって、安土山を赤々と照しだしたのだった。七層の高楼にはその一層ご
との屋根の形に提灯が並び、それがくっきりと夜空に城の形をえがきだした。

町角という町角から人々のどよめきが起り、安土山にむかって駆けてゆく群衆の波が暗闇のなかに感じられた。と、思う間もなく、城門の一角に輝きだしたたいまつの火が、あたかも火縄を伝わって走る焰のように、城門から宣教師館に到る道すじの形のままに、次々に燃えあがった。その火の列の先端は、みるみる私たちの立っている宣教師館へと近づいてきて、あっという間に、昼のような明るさになった。そのあかりでよく見ると、道の両側には、黒装束の男がずらりと並んで、燃えさかるたいまつをかかげているのであった。

しばらくすると、その焰のなかを、黒装束に同じようにたいまつをかざした騎馬武士の群が、ひとつづきの火の河のように、城門から溢れだし、宣教師館にむかって疾走し、宣教師館の門前までくると、突然火を消して、闇のなかへ溶けてゆくように次々に姿を消し、そのようにして溢れてくる火の流れは小半時、つづいた。

 

▶燃え尽きた。

しかしそうしたものはすべて一瞬のうちに過ぎさってしまった。ちょうどつい今しがた、あのように華々しく疾駆していった騎馬隊のように、あっという間に過ぎさり、あとには空虚な馬場だけが残っているのだ。

 

  • 戦国日本は軍事大国だった模様。

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