【概要】
著者(監督):豊永武盛
単音名詞にはじまる日本語の起源。それらが語頭音になり、さまざまなイメージを喚起する語尾が結合して二音節動詞が生まれていった。尿が飛ぶようす(「尿(し)」+「く」)や尿道括約筋を締めるようす(「尿(し)」+「む」)を想像させられる。
若干こじつけっぽいものもあるが、いかんせん文字が使われる前の言語なので証拠がない。想像力で補い、妥当性があるものだけ信じればよいのでは。しっくりくるかを感じられるのは日本人のみに許された特権だ。
【詳細】
<目次>
- 第一章 コトバ分析への道
- 第二章 太古的身体、コトバ、外界
- 第三章 二音節動詞語尾の分析
- 第四章 語頭音の意味とくに身体性
- 第五章 コトバの起源
- 第六章 「コトバと心」の発達
<メモ>
本能衝動―コトバの源を探っていくということは、幼児の言語獲得の詳細を知ることであり、究極的には人類の言語の起源へと迫るものであらねばなるまい。ところが、土居氏も失望したように、現代言語学はソシュールの神話「音形と意味は恣意的である」という壁で閉ざされてしまっているのである。
本著のはじまりは、この「音形と意味の恣意性」を打破するための彷徨とでもいってさしつかえないだろう。つまり「音とその失われた原初的な意味」の連なりを日本語のなかでさ迷ってみる試みだといえるだろう。
具体的に日本語という「コトバ」をもっと深く分析してみようという情熱をかきたててくれたのは、筆者の子どもたちがコトバを覚えるとき、さまざまな苦労や努力を超えながら、一人前の人間にならんと「コトバの林」を登っていく姿に感動したからでもある。
「p、b、m」「t、d、n」は、それぞれの内部において「pとbとm」などの意味の対立と同時に、同じ発声法同士 「p-t」「b-d」「m-n」などにも対立があったのである。幼児はこのような意味の対立を意識しながら「一語文」をひろげていくのではなかろうか。
人体の各部名称とそれの外部への投影、身近な身体現象に根ざした語頭語のかずかず、二音節動詞をつくる語尾のイメージの豊饒さなど、言語の発生に興味を持った。
「確かに女性を抱いたら負けという思考はわかるような気がするのである」☜???
精神科医、言語や哲学に興味持ちがち。