【概要】
著者(監督):? 訳注:蜂谷邦夫
言わずと知れた東洋最高峰の古典の一つ。現代語訳⇒書き下し文⇒原文という構成が読みやすい。
水、女、母などの言葉や比喩を潤沢に用いて、玄妙なる世界の理「道」に則って生きることを勧める。所有せず、見返りを求めず、支配せず、心静かに生きられたなら。
とはいえ、さすがにこういったことを実行していたら、とんでもないアホか聖人扱いされて生きづらいのは必定。なので、伝統的な中国の知識人と同じように、外にあっては儒教的なキャピタリズムで、内にあってはタオイズムで生きればいいんじゃないのかなあ。
「上善如水」の元ネタでもある。
【詳細】
<メモ>
〇第二章
有ると無いとは相手があってこそ生まれ、難しいと易しいとは相手があってこそ成りたち、長いと短いとは相手があってこそ形となり、高いと低いとは相手があってこそ現われ、音階と旋律とは相手があってこそ調和し、前と後とは相手があってこそ並びあう。
(有無相生じ、難易相い成り、長短相い形し、高下相い傾き、音声相い和し、前後相い随う)
⇒物事を相対化すると分裂してしまうよ(๑╹ω╹๑ )
〇第八章
最上の善なるあり方は水のようなものだ。水は、あらゆる物に恵みを与えながら、争うことがなく誰もがみな厭だと思う低いところに落ち着く。だから道に近いのだ。
身の置きどころは低いところがよく、心の持ち方は静かで深いのがよく、人とのつき合い方は思いやりを持つのがよく、言葉は信であるのがよく、政治はよく治まるのがよく、ものごとは成りゆきに任せるのがよく、行動は時宜にかなっているのがよい
そもそも争わないから、だから尤められることもない。
(上善は水の若し。水は善く万物を利して争わず、衆人の悪む所に処る、故に道に幾し。居は地を善しとし、心は淵を善しとし、与るは仁を善しとし、言は信を善しとし、正は治を善しとし、事は能を善しとし、動は時を善しとす)
⇒爾、斯くまで水を愛する乎。
〇第十六章
心をできるかぎり空虚にし、しっかりと静かな気持ちを守っていく。すると、万物は、あまねく生成変化しているが、わたしには、それらが道に復帰するさまが見てとれる。そもそも、万物はさかんに生成の活動をしながら、それぞれその根元に復帰するのだ。
(虚を致すこと極まり、 静を守ること篤し。万物並び作り、吾れ以て其の復るを観る。夫れ物の芸芸たる、各おの其の根に復帰す)
恒常的なあり方を知れば、いっさいを包容する。いっさいを包容すれば公平である。公平であれば王者である。王者であれば天と同じである。天と同じであれば道と一体である。道と一体であれば永遠である。そうすれば、一生、危ういことはない。
(常を知らば容なり、容ならば乃ち公なり、公ならば乃ち王なり、王ならば乃ち天なり、天ならば乃ち道なり、道ならば乃ち久し。身を没するまで殆うからず)
⇒常容公王天道久…ラップかな?(๑╹ω╹๑ )
〇第二十八章
剛強なあり方を知りながら、柔弱の立場を守っていくと、世の中の人々が慕いよる谿となる。世の中の谿となれば、恒常の徳は身から離れず、純粋な嬰児の状態に立ちかえる。
(其の雄を知りて、其の雌を守らば、天下の谿と為る。天下の谿と為らば、常徳離れず、嬰児に復帰す)
⇒求むるな、さらば与えられん(๑╹ω╹๑ )
〇第三十三章
他人のことが分かる者は智者であり、自分のことが分かる者は明者である。他人にうち勝つ者は力があるが、自分にうち勝つ者はほんとうに強い。満足を知るものは富み、力を尽くして行なう者は志が遂げられる。自分のいるべき場所を失わない者は長続きし、死んでも、亡びることのない道のままに生きた者は長寿である。
(人を知る者は智なり、自ら知る者は明なり。人に勝つ者は力有り、自ら勝つ者は強し。足るを知る者は富み、強めて行なう者は志を有す。其の所を失わざる者は久しく、死して而も亡びざる者は 寿し)
⇒強くなろう!(๑╹ω╹๑ )
〇第四十章
根元に回帰していくのが道の運動であり、柔弱なのが道の作用である。世の中の物は形のあるものから生まれ、形のあるものは形のないものから生まれる。
(反とは道の動、弱とは道の用。天下の物は有より生じ、有は無より生ず)
⇒絶対無から有無が生ずる(๑╹ω╹๑ )
〇第四十六章
欲望が多いことよりも大きな罪悪はなく、何かを手に入れようとするよりも大きな過失はなく、満足を知らないことよりも大きな災禍はない。そこで、満足することを知って満足することは、永遠に満足することなのだ。
(罪は欲す可きより大なるは莫く、咎は得んと欲するより大なるは莫く、禍は足るを知らざるより大なるは莫し。故に足るを知るの足るは、常に足る)
⇒龍安寺:吾唯知足(๑╹ω╹๑ )
〇第五十一章
道は万物を生みだし、養いそだて、成長させ、育み、形をしっかり定め、中身を完成させ、慈しみ、庇護する。生育しても所有はせず、恩沢を施しても見返りは求めず、成長させても支配はしない。これを奥深い徳というのだ。
(道、之を生じ、徳、之を畜い、之を長し之を育み、之を亭め之を毒んじ、之を養い之を覆う。生じて有せず、為して恃まず、長じて宰せず。是れを玄徳と謂う)
⇒絶対的一者の愛やね。他者にもこうありたいもの。
〇第六十三章
怨みには徳でもって報いる。難しいことは、それが易しいうちに手がけ、大きいことは、それが小さいうちに処理する。世の中の難しい物事はかならず易しいことからおこり、世の中の大きな物事はかならず些細なことからおこるのだ。そういうわけで聖人は、いつも大きな物事は行なわない。だから大きな物事が成しとげられるのだ。
(怨みに報ゆるに徳を以てす。難きを其の動きに図り、大なるを其の細さきに為す。天下の難事は必ず動きより作り、天下の大事は必ず細さきより作る。是を以て聖人は、終に大を為さず。故に能く其の大を成す)
⇒智者は未萌に見る(๑╹ω╹๑ )
仕事でも心掛けたいところだが…。
〇第七十一章
知っていても知らないと思うのが最上である。知らないのに知っていると思うのは欠点である。
(知りて知らずとするは上なり。知らずして知るとするは病なり)
⇒プロほど「わからん」と言うもの(๑╹ω╹๑ )
<東洋思想関連>