著者(監督):林佳世子
【概要】
多民族帝国オスマン帝国の興亡もとい攻防もとい光芒を辿る。読みやすく面白い。ハプスブルグ家、ヴェネチア、イランやエジプト王朝など周りが敵だらけの中、アナトリアとバルカン半島を中心に王朝を存続させ続けたしぶとさは特筆に値する。確立した統治政策、軍政・行政の柔軟な変化による不穏分子の取り込みなど、組織永続の秘訣は単純な戦闘能力よりもしぶといシステムであると感じる。
【詳細】
軍事・内政・文化など、前近代(1300~1800年)オスマン帝国の姿を時系列で追う。
群雄割拠のアナトリアに産声を上げ、バルカン・アナトリアを併呑していき、エジプト、ハンガリー、イラク、アラビア半島まで手中に収めていく。
下記主なトピック。
- 支配の階梯:⓪略奪①同盟②臣属③直接支配
- ティマール制(金額で示される徴税権(のみ)の付与)、税源調査台帳の整備による中間支配層の取り込み
- デヴシルメによるイェリチェリクルート活動
- イェリチェリの支持を得た軍人政治家の台頭によるスルタンの退場
- 常備軍への移行に伴う徴税請負人の出現
- ウラマー養成制度による社会秩序の安定化、文書行政の拡大
詩や紀行文などの文献から浮かび上がる往時の殷賑。行き来するヒト・モノ・カネ・情報。ユーラシア大陸で主要なプレーヤーとして存在し続けたオスマン帝国。アナトリアとバルカン、東西世界のダイナミックな結びつきを感じられる。
もともと多様な「民族」的構成をもつオスマン帝国にとって、国家に有用な人々の参入は歓迎こそされ、警戒されるものではなかった。出仕先を求めて移動するヨーロッパの技術者や軍人にとっても、オスマン帝国は有望な「就職先」の一つだったのである。
そして国民国家という幻想も。
単一の宗派・民族で国家を構成することが不可能な旧オスマン帝国地域に均質な国民国家を形成するという幻想は、今日まで不幸の種を蒔き続けているといってもいいだろう。