Javaさんのお部屋(サム・ジーヴァ帝国図書館)

Javaさんのお部屋です。引っ越しました。詳しくは「はじめに」を読んでね。スマホ版は全体像が見えにくいから、PC版と切り替えながら見てね。

病院で死ぬということ


著者(監督):山崎章郎

【概要】
尊厳ある短き死か、意志なき長き生か。南極調査時の回心によりホスピスの重要性に目覚めた著者が、オムニバス形式で二種類の死に方を提示する。患者と腹を割った話し合いができた著者の人格が立派。

【詳細】
延命治療・終末期医療のいま(1990)に疑問を投げかける。

①「悲惨な事実にもとづいた物語」5話、
②『死ぬ瞬間』との出会いを描いた小休止1話、
そして③「希望につながる可能性のある、事実にもとづいた物語」5話。
さらに④「そして、僕はホスピスを目ざす」の四本構成。
ストーリー仕立てで主張がわかりやすい。

①生きる意志なき身体に強いる延命治療、病理解剖の強制、死んでから主治医ヅラする医師、家族に疎んじられる患者、など豊かさの中にあるダークサイドを見せつける。
彼はまさに、物言わぬ物体でしかなかった。頭の中だけが、はっきりしていた。だが、だれもそのことには気がつかないようだったし、彼自身も、苦痛と屈辱の連続の中で、自分が尊厳ある人間なのだということを忘れてしまいそうにもなっていた。

②僕は変わったし、変えたい。
とにかく僕は、現在の日本のひどい終末期医療の現状を変えたいのだ。それらは変えられなければならないし、変えうるからだ。終末期の場面でこそ、一人一人の人権がきちんと守られ、そして避けることのできない死を嘆き悲しむのではなく、最後の最後まで、多くの中の一人ではなく、その人固有の人間としての存在が尊重され、それぞれが納得できる人生を完成させる場とならなければならないのだ。


③やさしいウソを言うべきか、ほんとうを言うべきか。著者の葛藤と勇気、そして患者や家族とのわだかまりが解けていく描写が物語的。
だれでもいつか、どこかで何かを覚悟しなければならないときがある。そして、その覚悟のために必要なものは、偽りのやさしさではなく、つらくてもすべてが事実であることを認識することなんだ。

ホスピス推進部部長、ここに宣言する。
僕が真実を伝えることができた人たちはすべてが、少なくとも何も知らずに闘病し、死んでいった人たちにくらべると、みずからの意志をはっきりと述べ、家族との偽りのない深い交流の中で、はるかに意味のある時間を過ごしながら最期を迎えていった。

ここで、まちがわないでもらいたいことは、病名や病状を伝えたから、つまり、偽りがなくなったから、深い交流ができたということよりも、深くかかわっていたから真実を伝えることができて、そして、そのことによってさらに深い信頼関係に入ることができたということなのだ。

末期ガン患者にとってたいせつなことは、患者が自分は決して孤独ではなく、自分を愛し、信頼し、共感してくれる人たちがいて、自分もまたそれらの人々を愛し、信頼しているのだということを実感できることだからだ。患者と患者をとり巻く人々の間に、そのような関係が成立すれば、人はどんな場所でも闘病し、生き生きと生き、死を乗り越え、死を受け入れていくことも可能なのだ。

今はどうなっているんだろう? 大して変わっていないのでは。
上記理由に加え、治療費もムダだからゼヒ推進してほしい。