Javaさんのお部屋(サム・ジーヴァ帝国図書館)

Javaさんのお部屋です。引っ越しました。詳しくは「はじめに」を読んでね。スマホ版は全体像が見えにくいから、PC版と切り替えながら見てね。

深夜特急


著者(監督):沢木耕太郎

【概要】
(1)香港・マカオ
香港からロンドンまで陸路で行こうと試みるルポ。第一巻は香港・マカオをぶらつく。特に大したことはしていないのだが、文体に読ませる力がある。ゼヒ続巻も読みたい。

(2)マレー半島シンガポール
香港ほどの喧騒と興奮はないが、旅情はある。インドのための準備と考えたい。ホテルや食事の選び方、現地人や旅人との会話などに慣れてきた様子が窺える。

(3)インド・ネパール
インドでは、興奮や喧噪だけでなく、生死、聖俗、貴賤、世界のあらゆるものがありのままに陳列されていた。カルカッタブッダガヤ、ベナレスを経てようやくデリーへ。気づけば、旅に出てもう半年が過ぎていた。

(4)シルクロード
旅も折り返しにさしかかり、イスラム圏に突入。胆力と引き換えに活力を失ってきている。 
なんでも惰性で乗り切れるかと思えば、一巻に一回はヒヤリとさせられるイベントがある。
心身ともに弱ってきたようで、ふとした人々の営みにホロリとさせられることもしばしば。
偶数巻では、文章が著者の内面に向かいがちになるようだ。トルコ到達でEND。

(5)トルコ・ギリシャ・地中海
東西の結節点に到達。疲労と倦怠の滲むなか、人々との交歓に慰められ、内面の変化に気づき、旅の終りを意識する。下痢、ゲンチャイ、熊使い…イベントは向こうからやってくる。観光地や名所旧跡よりもやはり、人々の営みが著者には面白いようだ。


(6)南ヨーロッパ・ロンドン
バス旅と酒場の楽しさ、アン王女とピエタ南欧の陽光と星空、微笑みとお節介…名残惜しくも旅の終幕は近づいている。数えきれぬ出逢いと別れの果て。「わかっているのは、わからないということだけ」。ロンドンに着いても、もうちょっとだけ旅は続くんじゃ。

【詳細】
(1)香港・マカオ
インドの倦怠から回想がスタート。
アパートの部屋を整理し、机の引出しに転がっている一円硬貨までかき集め、千五百ドルのトラベラーズ・チェックと四百ドルの現金を作ると、私は仕事のすべてを放擲して旅に出た。

理由はなかった。(中略)少しずつ、可能なかぎり陸地をつたい、この地球の大きさを知覚するための手がかりのようなものを得たいと思ったのだ。
異国情緒をかきたてる、旅情あふれる旅行記。
外国への旅に出たくなることうけあい。
熱に浮かされたように香港中をうろつきはじめた。私は歩き、眺め、話し、笑い、食べ、呑んだ。どこに行っても、誰かがいて、何かがあった。
インドの安宿。チャランポラン運転手。
香港の安宿。香港で出逢った親切な張君。
白熱するマカオの博奕(大小)。大敗した老夫婦と大勝した姉妹。
いろんな街があり、いろんな人がいる。

<コミュニケーションの極意>
だが、それを恐れることはないということがわかってきたのだ。口が動かなければ、手が動き、表情が動く。それでどうにか意を伝えることはできる。大事なことは、実に平凡なことだが、伝えようとする意があるかどうかということだ。

<孤独が人を強くする>
(旅は)友達と一緒だとあまり書くことがなくなってしまう。


(2)マレー半島シンガポール
旅の不便さや不条理に順応してきた。
交渉能力が向上し、胆が据わってきた。
新米旅行者に兄貴風を吹かすようになった。 
でも、
どうしても香港のようにいかない。どこを歩いても、どこを歩いても、誰に会っても胸が熱くなることがない。
そんな中でも旅情はある。
沈む夕陽、フェリーやタクシーでの「人間喜劇」を掬い上げる。
ライター業のはじまりや旅に出た理由(属することを回避した)など、自分語りが挿入される。
高倉健と対談してインドへの準備は完了。さあ行こう!

(3)インド・ネパール
カルカッタ
カルカッタという街はほんのワン・ブロックを歩いただけで、人が一生かかっても遭遇できないような凄まじい光景にぶち当たり、一生かかっても考え切れないような激しく複雑な想念が湧き起こってくる。なんという刺激的な街なのだろう。いったい自分はどのくらいこの街にいたら満足するのだろう……。

ふと、このインドでは解釈というものがまったく不用なのかもしれない、と思えてきた。ただひたすら見る。必要なことはそれだけなのかもしれない、と思えてきたのだ。

しかし、私は眼をそらさず、見つづけた。多分、これから先の土地でも、眼をそらしては一歩も前に進むことができない、と思ったからだ。

路上生活者や白い牛には驚いても、蠅やリキシャへの対応には余裕が見える。半年の歳月が彼を旅人に変えた。
だがどんなに旅慣れても、死やカーストなどの異質なものを感じざるを得ない。 
 
私は、風に吹かれ、水に流され、偶然に身を委ねて旅することに、ある種の快感を覚えるようになっていた。

<アシュラム>
とりわけ、夕暮れどき、しだいに薄暗くなっていく集会場の中で、子供たちが高音で和する伸びやかなサンスクリット語のお祈りに耳を傾けていると、自分が本当にこの世にいるのかどうか不思議に思えてくることがあった。

<ベナレス>
ベナレスでは、聖なるものと俗なるものが画然と分かれてはいなかった。それらは互いに背中合わせに貼りついていたり、ひとつのものの中に同居したりしていた。喧噪の隣に静寂があり、悲劇の向こうで喜劇が演じられていた。ベナレスは、命ある者の、生と死のすべてが無秩序に演じられている劇場のような町だった。私はその観客として、日々、街のあちこちで遭遇するさまざまなドラマを飽かず眺めつづけた。

牛がうろつき、烏が飛びかい、その間にも、焼かれ、流され、一体ずつ死体が処理されていく。無数の死に取り囲まれているうちに、しだいに私の頭の中は真っ白になり、身体の中が空っぽになっていくように感じられてくる……。

謎の病気で死にそうになりながらもデリーに到達しEND。

(4)シルクロード
シルクロードⅠ>
「伝染るものなら伝染っていよう」という諦観に行き着く。
長く旅を続けているうちにすべてのことが曖昧になってきてしまうのだ。黒か白か、善か悪かがわからなくなってくる。何かはっきりしたことを言える自信がなくなってくる。

言葉はわからなくても日本語で発話してみよう。
「しっかりやろうぜ、おじいちゃん!」
日本語でそう言って肩を叩くと、また具合悪そうに少し笑った。

映画館途中退室で警官にどつかれるなど、各巻に一度は窮地に陥る。

シルクロードⅡ>
だいぶセンチメンタル亢進。
必ず犬はバスに向かってきた。激しく吠えたてながら砂漠を疾走してくる犬たちに、心が震えることもあった。条件反射的な行動なのだ、過剰な思い入れは必要ないのだと思いきかせているのに、何度目かの時に、突然、涙が流れてきた。畜生、どうも心身ともに弱っちまいやがった。

日本から遥かに離れたこのイランで、いくつかの偶然によって、十何カ国の若者たちと共に怪しげなバスに揺られ、今この眩しいほどの夜空を眺めている。そのことがわけもなく感動的なことに思われてならなかった。

言葉が分からなくても会話は成り立つ。
私も勝手なところで「うん、うん」とか「なるほど」とか、日本語で相槌を打っていたが、それでけっこう会話は成立しているようだった。

シルクロードⅢ>
私が公衆電話のボックスを見つけてショックを受けたのは、単にそこに強く都会を感じたからというだけでなく、ガラスの中で笑いながら話している若者を見た瞬間、そうだ、自分にはあのように話せる相手がこの町にはひとりもいないのだ、という想いに胸を締めつけられたためかもしれなかった。

中年の大道芸人に悲哀を感じ、時計屋の老主人とのやりとりに交渉擦れしてきた自分を感じる。

(5)トルコ・ギリシャ・地中海
イスタンブール
下痢との戦い。
私は何度目かの大嵐に冷汗を流しながら、世界中のありとあらゆる種類の神仏に祈ろうかと本気で考えた。

カメラをとることばかりに夢中にならないで。
風景によって喚起された思考の流れが中断されたり、人とのあいだに生まれかかった心理的なつながりに変化が起きてしまう危険性も少なくはないのだ。それでもなお写真を撮ろうとするのには、よほどのエネルギーを必要とする。

青年に各国のコインを贈呈し、ゲンチャイとセンセのオトナの恋愛に思いを馳せる。
たぶん、本当に旅は人生に似ているのだ。どちらも何かを失うことなしに前に進むことはできない……。

トルコの魅力にとらわれる。

眼を閉じてコーランの朗唱に耳を傾ける。そのまま眠りに誘われることもあったし、さまざまな思いが溢れるように駆け巡ることもあった。しかし、たいていは、不思議と気持ちが平静になっていき、意味のわからぬコーランの聖句の響きに心地よく身を任せることになるのだった。


イスタンブールは居心地のよい街だった。その理由のひとつには、食事に不自由しなかったことが挙げられるだろう。(中略)
だが、居心地のよいもっと大きな理由は、イスタンブールの人々の、というより、トルコの人々の親切が挙げられるだろう。(中略)長い旅に疲れはじめていた身には、日々の小さな親切がありがたく沁み入ってきた。

心地よい街にも窮地は潜んでいる。
襲い来る熊使いを撒く。
「達者でな!」
すると、はるか後方で成り行きを心配していてくれたらしい靴みがきの少年たちのあいだから、歓声と口笛が聞えてきた。私はいささか得意になり、男をもう少しからかってやろうと思ったが、トラックの横に熊の頭を突っ込ませているのを見て、慌ててそこから走り去った。

思い出したように観光値にも行く。
しかし、やはり私には街が面白かった。街での人間の営みが面白かった。

ふと我に返る。
久しぶりに、本当に久しぶりに、「前へ進もうか」という言葉が口を衝いて出た。「旅を続けよう」と。このままイスタンブールにいると、ふらふらとああした車に乗り込んでしまいかねない。まだ、旅は終われない。なぜなら、私の心の底で旅の終わりを深く納得するものがないからだ。
旅は私に二つのものを与えてくれたような気がする。ひとつは、自分はどのような状況でも生き抜いていけるのだという自信であり、もうひとつは、それとは裏腹の、危険に対する鈍感さのようなものである。だが、それは結局コインの表と裏のようなものだったかもしれない。「自信」が「鈍感さ」を生んだのだ。私は自分の命に対して次第に無関心になりつつあるのを感じていた。

私がその国を通過した痕跡は出入国の際に押されるパスポートのスタンプだけといってもよかった。ひとつの国に入り、出る。スタンプにはただその場所と日時が記されているに過ぎなかったが、私にとってはどのような記念品よりも貴重だった。

神殿や死んだような城壁のある街には、猫や山羊、蜥蜴しか生きている者はいない。
ジプシーをその眼で見たり、誕生日会にお呼ばれしたりする。

<地中海>

そこは四方すべてが青だけの世界でした。海も空も陸さえも青だったのです。しかもその青がそれぞれ異なる輝きを持っている。

僕が西へ向かう旅のあいだ中、異様なくらい人を求めたのは、それに執着することで、破綻しそうな自分に歯止めをかけ、バランスをとろうとしていたからなのでしょう。そしていま、ついにその一歩を踏みはずすことのなかった僕は、地中海の上でこうして手紙を書いているのです。


(6)南ヨーロッパ・ロンドン
<イタリア>
基本的に芸術品には興味がないが、ピエタは誉める。
あたかも、ひとりの男にとっての、母であり、恋人であり、妹であり、娘であるという、女性としてのすべての要素を抱え込んでいるかのようだ。私は今までにこれほど美しい女性の姿を見たことがないように思った。

私も26です。
26歳。それは私とまったく同じ年齢だった。(中略)
15世紀人ミケランジェロは同じ年頃に「ピエタ」を作り上げ、20世紀人マルコは「ルカ」を育て上げようとしている。「ピエタ」と「ルカ」のあいだには何の関係もなかったが、二人が自分の手の届かない美しいものを生み出し、育んでいることに、ふと、焦燥感のようなものを覚えた。

私の心にそっと沁み入ってきたのは、そうしたルネッサンス期の名作より、フィレンツェの街の佇まいそのものだった。それも、歴史に名を留めている有名な寺院や宮殿の周辺より、僅かに石畳の舗道と建物の壁に中世の面影を残しているだけの、何ということもない小さな裏通りがよかった。

アン王女との出会い、モナコ―ニース間の美しい海岸線を眺めても、旅の終わりが近づいていることをなかなか認められない。

ポルトガル
少女にキャンディーをあげるお節介、太陽の光の量、海沿いのペンション。

わかっていることは、わからないということだけ。それは一国の状況や国民性だけでなく、ひとりの少女、ひとりの女性にも言えるものだったのだ。
ロンドンに到達し、旅はこれにて終結
と思いきやアイスランドにも足を延ばすことを閣議決定旅はまだ終わらない

<その他>
  • 春を買いにいかないところに好感が持てる。
  • ほぼ無計画でテキトーな路程がいい。
  • 淡々としているように見えてたまにカッコつける。
  • 奇数巻が面白い。