Javaさんのお部屋(サム・ジーヴァ帝国図書館)

Javaさんのお部屋です。引っ越しました。詳しくは「はじめに」を読んでね。スマホ版は全体像が見えにくいから、PC版と切り替えながら見てね。

第二集 きけ わだつみのこえ

【概要】

編:日本戦没学生記念会
当時のエリートたちが理不尽で醜悪な現実に対し、いかに自己と向き合い、いかに自己を位置づけようとしたかの精神的苦闘の記憶。明朗と悲壮、韜晦と諦観がないまぜになった血のインクに君は何を見るか。

【詳細】
<巻頭>

死者は記憶されることで生きる。時代の推移と状況の変化にもかかわらず、読者に受けとめようとする誠実な意思があるかぎり、戦没学生のどの言葉も、読者の胸に刻まれるにちがいない。


<旧版序文>

もはや、人間を追いつめるような、特に若い人々を追いつめるようなことは一切、人間社会から除き去らねばならぬことを沁々と感ずる。


「すべてが流されてゆく」"The end of world"において、皮肉と諧謔と諦念、怨嗟と憤怒と絶望、そしていくばくかの希望を文字に認めた者たちがいた当時のエリートたち。
彼らが理不尽で醜悪な現実に対し、いかに自己と向き合い、いかに自己を位置づけようとしたかの精神的苦闘の記憶。前ver.よりも学徒兵の内面に焦点を当てている印象。明朗と悲壮、韜晦と諦観がないまぜになった血のインクに君は何を見るか。

来し方行く末の回想・空想、内面的思索、母・妻・妹へのいたわり、信仰の確認など、考えずには書かずにはいられない人たちだったのだろうな。
手記や手紙を残した彼らのほとんどが20代前半で人生を終えており、もはや自分がその年齢を越えてしまったのが悲しい(よくある現象)。

上原良司(慶應・経済)

世界どこにおいても肩で風を切って歩く日本人、これが私の夢見た理想でした。

 

空の特攻隊のパイロットは一器械に過ぎぬと一友人が言った事は確かです。操縦桿を採る器械、人格もなく感情もなく、もちろん理性もなく、ただ敵の航空母艦に向って吸いつく磁石の中の鉄の一分子に過ぎぬのです。



大井栄光(東帝・理・数)

軍隊生活において私が苦痛としましたことの内で、私の感情――繊細な鋭敏な――が段々とすりへらされて、何物をも恐れないかわりに何物にも反応しないような状態に堕ちて行くのではないかという疑念ほど、私を憂鬱にしたものはありません。

 

この中から微笑だけを読みとって下さい。これからはもうすこし面白い、ひょうきんな快い事もたくさん書きたいと思います。


田辺利宏(日本・英文)

『夜の春雷』
黒い夜の貨物船上に
かなしい歴史は空から降る。
『水汲み』
おおきな赤い大陸の太陽は
今年も五月の美しさを彼女に教えた。


柳田陽一(京帝・文・東洋史

一切のことに何でもいいから負けたくないのだ。人生に負けたくない。眼に見えぬ人生の誘惑に負けたくない。俺は飽くまで俺という人間を守り通していきたい。死ぬまでも俺という人間だけは失いたくない。


篠崎二郎(同志社・文・英文)

妻はどうなるだろう……。生涯自分の妻であってほしい、永遠に。ひとりよがりかなあ――。月にものを言ったんだよ、失礼。

 

門出の前夜「私を未亡人にしてはいや」といったきみの顔が、目が忘れられない。

 

しかし何時もきみの全部は心に銘じている。何か機あるごと、常に頭に浮かぶのがきみの全部です。あれもしたい、これもせねばならぬ。あれだけはしたい、あんなことはもっとしたいとなかなか希望多く、理想高く、きみ以上に生に対し、人生に対し、慾張りかも知れぬ。

 

そうして出来上りつつあるきみの容貌、性格、気質などの総べてが何よりも美しく感じ、好きなんだ。恐らく世界中に無比なものに見えて仕方がないのだ。

 

きみの顔が浮かぶ。情熱的な黒目がちの目、きりっとした中にも愛くるしいまで引きしまった口、ふくよかな胸の辺り、きみのまぼろしが浮んで消えない。


こんなことが言えるオトコになりたいね。

上村元太(中央・専門・法)

戦いという現実は、好悪を超越して、われわれを一種の虚無感に結びつける。
軍部・政界・思想・法律・政治・経済・社会・文化等々、総て過去の楽しい生活の裡に咲いていた小さな花びらだったのだ。

 

失うまい、いつまでもこの美しい心根を。


菊山裕生(東帝・法)

ここに真剣な一つの生があったと信じてくれる人がいたら、これほど尊い事はない。真剣に生きる、これ以外の何もない。


松岡欣平(東帝・経済)

ああ、もっと本を読んでおけばよかった。

 

もっと強くなれ。もっと強くなりたい。ただそれだけ。


中村徳郎(東帝・理・地理)

ただ書き記したいのだ。しかしそれが種々な障害によって実際の文字とはならずに、泡沫のごとく消えてしまうのも重ねて経験するところである。私はそれを惜しいと思うようになった。理由は識らない。

 

ここに読んだ書翰(『ドイツ戦歿学生の手紙』)がすべて、それが書かれてから若干の後に雄々しくも戦死した者のものであることは、考えれば考えるほど胸を打つものがある。中には重傷を負っていよいよ死ぬ当日記したもの、書きかけのものを戦友が書き続けて送ったものがある。あるいは射撃をしながら描いたものもある。逞しい努力に心から頭が下るのを覚える。

 

美しい雪晴れで、風が強く吹いた。車廠の尾根から本物のような雪煙が上った。三月の西穂の痩尾根を想い出させた。嬉しいような、しかしただ何とはなしに悲しかった。足が冷たかった。どうして雪と氷と、雲と風と、それらがこんなにまで私の心を動かすのであろう。

 

私はもっと真実で、もっとひたむきでなければいけない。もっと夢を持ってよい。


岩ヶ谷治禄(静岡第一師範)

可愛いい子供たちが、私に「田道間守」を歌ってくれた。
私はそれをずっとおぼえていることでしょう。そして教師であったことの想いを深くさせるでしょう……そう考えている。


山中忠信(東帝・文・倫理)

その時まで、許される時までこのTagebuch(日記)を後生大事に守りながら自己の生の充実を願うのみである。真剣なる生活の記録、これあれば充分ではないか。


竹田善義(東帝・文・国文)

書物へのノスタルジーが沸々とたぎって来た。(中略)
食事時間の数分前、食卓番が配食の準備にごった返している食卓の固い木の長椅子に坐って、メンソレータムの効能書を裏表叮嚀に読み返した時などは、文字に飢えるとは、これほどまでに切実なことかとしみじみ感じた。

 

棄てても棄て切れない自分。自分で最も良いものと信じている自分の姿。それを最後まで立派に育て上げるのだ。

 

様々な空想に耽ってゆく。東京の家で学生として生活していた去年の今頃のこと、温かい寝床、湯気の立った味噌汁、朝陽のさし込んだ書斎、籐椅子の上に置かれた真新しい朝刊のインクの臭い、吸いかけの両切りを無造作にガラスの灰皿に投げ込んで学制服に着更える。玄関に並べられた短靴、革の鞄、それから門を出る前に必ず一度はのぞきにいった池の鯉、駅へ出る途中の煙草屋、そういう風景が、例えば交響楽の一節を聴いている時のようにすらすらと頭の中を廻ってゆく。


尾崎良夫(京帝・経済)

貴様が俺の妹であってくれたことは貴様の幸より実は俺の幸だったよ。しっかりと生きて行ってくれ。俺の友人たちが、再び貴様に俺の延長を求めて来たら、貴様がいいと思うようにやってくれることが一番結構だと思う。おやじたちには常にいい子であるように、貴様一人はみんなのためにそしてみんなは一人のために。貴様にしても兄貴の帰る場所は大急ぎでこさえておかなきゃ間に合わないぞ。
十九年十月
和へ

松原成信(同志社・経済)
(6行ほど母のトリセツを書いた後で)
僕のことを言うのは忘れた。僕は元気。


御厨卓爾(鹿児島高商)

こんなことを考えながら歩いているうちに、ふと視野に入った飛行場のエンドの農家が、なおも霧の中に静かに落着いていた。百舌がけたたましく飛び去り飛び来たる。雲はまだ低いが西の方は明るい。この調子でいけば、午後の飛行作業は出来るだろう。


上原良司(慶應・経済)
恋人への『クロォチェ』飛び石遺書。

きょうこちゃん さようなら
僕はきみがすきだった しかし
そのとき すでにきみは こんやくの人であった
わたしはくるしんだ そして
きみのこうフクをかんがえたとき
あいのことばをささやくことを だンネンした しかし
わたしはいつも きみを あいしている


御厨卓爾(東帝・法)

あと一月の生命に 何の装飾もない私を見つけだそうとしての私のあがき。
私には もう自分自身がなくなってしまっているようだ。


東帝・京帝いいよね。
渡辺辰夫(東帝・法)の馬の世話や新兵教育の話も良い。

陰湿な軍隊組織、前時代的な試験(軍人勅諭丸暗記)、日本組織の欠陥(本質回避、、不勉強、楽観、深い反省の不足、無責任・無能力・不誠実・不条理・不合理な指導者、不明瞭な戦争目的、独善性)、中国大陸での蛮行などへの非難も忘れない。
もう「「ほうこく」ではなくて「ぼうこく」にならねばよいかと心配」されているくらいに。これも参照。

javalousty.hatenablog.com



*の補足(幹部候補生や徴兵検査、軍隊用語)が勉強になる。
本書に関するいろいろなツッコミや※などは、あとがきその他に譲る。