Javaさんのお部屋・改

Javaさんのお部屋です。引っ越しました。詳しくは「はじめに」を読んでね。スマホ版は全体像が見えにくいから、PC版と切り替えながら見てね。

応仁の乱

著者:呉座勇一
評価:B+

【概要】
興福寺僧侶の遺した日記をもとに、複雑怪奇な大乱を読み解く。新興勢力の台頭と挑戦、時代の奔流に押し流されまいと奮闘する持てる者たち。なんだかんだで難しいが、いつの時代も人の世は愛憎劇に満ちているということがよくわかった。

【詳細】
興福寺僧侶の『経覚私要鈔』『大乗院寺社雑事記』の「二史料を中心に、多様な史料を駆使して、人々の生活のあり方という具体的なレベルから議論を展開していきたい」。

合戦の当事者であるように身を乗り出す経覚と、戦乱から距離をとる尋尊。記主の個性がはっきりと浮かび上がる。

階級闘争史観や通説を能うるかぎり排し、各陣営の思惑が複雑に縒り合わさった勢力争いを描写する。
なんせ複雑なので、応仁の乱はもとより、プレ乱、ポスト乱も解説する。
「家臣たちが自分を見捨てたことを恨んでいた」などの人々の心理に注目した記述は、これからの歴史学に重要な視点かもしれない。

足軽の大量動員、近畿への兵站ルート、有職故実のマニュアルとしての日記、興福寺が事実上の大和守護、幕府の権威の危うさ、将軍の性格・行動などの記述も興味深い。

<大和永享の乱
かくして事態は、衆徒・国民間での「私合戦」の範疇を超え、越智らによる興福寺・幕府に対する反乱へと発展した。

応仁の乱
伊勢貞親山名宗全細川勝元の鼎立崩れ、両大名グループの争いに将軍家や畠山・斯波家の後継問題が絡み合い、WWⅠばりの膠着戦・消耗戦がスタート。
将軍である足利義政が中立性を失ったことで、戦争を調停する存在は消滅した。「賊軍」の烙印を押した山名方を速やかに鎮圧しない限り、戦争の早期決着は不可能になったのである。

応仁の乱では、両軍が陣を堀や井楼で防御したため、京都での市街戦は実質的に"攻城戦"になった。敵陣=敵城を急襲して一挙に攻略することは断念せざるを得ない。陣地の城塞化が進めば進むほど、互いに弓矢や投石機を使った遠距離戦を志向するようになった。

なんだかんだ複雑だったが、和睦と戦後処理が終わる。

<まとめ・今後の予定>
室町幕府は将軍をリーダーとして推戴した諸大名の一揆である、という評価がある。嘉吉の変後の政治状況は諸大名の一揆を二分し、二大陣営の対立が応仁の乱を生んだ。だが皮肉なことに、応仁の乱の原因であり、また主体でもある二つの大名集団は、終戦と共にいずれも解体した。そして、従来の幕府政治では日陰者だった守護代層や遠国の守護が、戦国大名として歴史の表舞台に登場してくる。既存の京都中心主義的な政治秩序は大きな転換を迫られ、地方の時代が始まるのである。