Javaさんのお部屋・改

Javaさんのお部屋です。引っ越しました。詳しくは「はじめに」を読んでね。スマホ版は全体像が見えにくいから、PC版と切り替えながら見てね。

沈黙

沈黙 (新潮文庫)
沈黙 (新潮文庫) [文庫]
著者:遠藤周作
評価:A

【概要】
自らをキリストになぞらえ、殉教の情熱に燃えるパードレが、如何にして棄教するに到ったのか。矜持、侮蔑、欺瞞、韜晦、確信。その心理プロセスにはゼンチョ(異教徒)ならずとも心を動かされる筈だ。

【詳細】
映画を観たので再読。
敬慕する師の行方を追い、17c半ばの日本にやってきたパードレ・ロドリゴ
矜持、侮蔑、欺瞞、韜晦、確信。
神の否定が神の愛を実践しているというパラドクスに辿り着くまでの心理プロセスを追っていこう。

「司祭という仕事がこれほど生き甲斐のあるものだと、かつて考えたことはありませんでした」

「その告解コンヒサンをきき、祈りオラショや教えを言いきかせます」 

「無智な百姓たちの口から「デウス」とか「アンショ」「ペアト」というような我々の言葉が呟かれる時、思わず微笑せざるをえません。告解の秘蹟も「コンヒサン」と言いますし、天国は「ハライソ」、地獄を「インヘルノ」と言うのです」

「みじめな小屋で、赤ん坊が泣き、マツがそれをあやし、一人の男が小屋の外に張番にたち、ガルぺが重々しい声で唱える洗礼の祈りを聞いた時ほど私に悦びを与えたものはありませぬ」
苦しむ民衆に応え、自らを基督になぞらえ、司祭としての職務に邁進するロドっち。
その胸には情熱と矜持とがあった。
たまに出るポルトガル語や、神を介在させた心理描写が、彼が丈高く窪んだ眼窩を持った異国人であることを思い出させる。
キチジローをはじめ、みじめな日本の人や町、風土への侮蔑は捨てきれない。
「仏像のように表情のない日本人の顔は気味わるさを与えます」

「吐き気のするような臭いのただよった口をちかづけて彼らは自分たちの罪を懺悔します」

何もかもうまく運んでいる。そう思いました。

しかし、村人の水磔を目の当たりにして、「神の沈黙」問題が顕在化する。

「なんのため、こげん責苦ばデウスさまは与えられるとか。パードレ、わしらは何にも悪いばことしとらんとに」

それは神の沈黙ということ。迫害が起って今日まで二十年、この日本の黒い土地に多くの信徒の呻きがみち、司祭の赤い血が流れ、教会の塔が崩れていくのに、神は自分にささげられた余りにもむごい犠牲を前にして、なお黙っていられる。

この海の不気味な静かさのうしろにわたしは神の沈黙を――神が人々の歎きの声に腕をこまぬいたまま、黙っていられるような気がして……。

なぜ、神は黙っておられるのか私にはわからなかった。「種は五つの町におそいかかる炎より正しき人を救いたもう」しかし不毛の地は今も煙をあげ、樹々は熟することのない実をつけている時、彼は一言でも何かを信徒のために語ればいいのに。

囚われ、倦怠を覚えはじめたロドっち。

長い間、怯えと不安の入り混じった空想の中で思い描いていた捕われの日が、こんなにのどかとは思いもしなかった。彼はそこに、言いようのない不満を――自分が多くの殉教者たちや基督のように、悲劇的で、英雄でないことに幻滅さえ感じた。

罪とは人がもう一人の人間の人生の上を通過しながら、自分がそこに残した痕跡を忘れることだった。Nakisと彼は指を動かしながら呟くと、その時初めて祈りが、胸の中にしみていった。

この牢内には、ふしぎなほど、平和と静謐とがあった。あの山中彷徨の不安や焦燥は、遠い昔の話のようにさえ思われる。明日、自分がどうなるかさえ、予測できぬが、しかし、不安はほとんどなかった。

だが、この牢には信徒たちが居た。
思いがけぬ役人の言葉に、張りつめていた心が、突然崩れる。もし自分たちが国籍や政治という制約さえ持っていないならば手を握りあって話しあえるのではないか、そんな感傷にさえふと、かられる。

背後から信徒たちに見られているとことを意識すればするほど、彼は自分を英雄にしていった。
訊問を乗り切っても
信徒の死が二たび彼を苦しめる。

なぜ、あなたは黙っている。あなたは今、あの片眼の百姓が――あなたのために――死んだということを知っておられる筈だ。なのに何故、こんな静けさを続ける、この真昼の静かさ。蟬の音。愚劣でむごたらしいこととまるで無関係のように、あなたはそっぽを向く。それが……耐えられない。
ふたたび倦怠。
砂のように静かに流れていく、ここでの毎日。鉄鋼のように張った気持ちが少しずつ腐蝕していく。あれほど逃れられぬ者のように待ち構えていた拷問や肉体的苦痛も自分にはもう加えられないような気がするのだ。
そして追い打ち。
ガルペはまだ潔かったわ。だがお前はな……お前は、一番卑怯者じゃて。パードレの何にも価せぬ。

敬慕するフェレイラ師は、もはや昔の彼ではなかった。
「この国は沼地だ。やがてお前にもわかるだろうな。この国は考えていたより、もっと怖ろしい沼地だった。どんな苗もその沼地に植えられれば、根が腐りはじめる。葉が黄ばみ枯れていく。我々はこの沼地に基督教と言う苗を植えてしまった」

彼は自分を裏切っただけではない。自分の弱さの上に更に弱さを重ねるため、別の人間をそこに引きずりこもうとしている。主よ、あなたは彼を救わぬのですか。ユダに向ってあなたは言った。去れ、行きて汝のなすことをなせ。見離された群れのなかに、あなたはあの男をも入れるのですか。

そんな苦しみの中、来るべき刻が来た。殉教の日が。
自分がガルペや彼等とつながり、更に十字架上のあの人と結び合っているという悦びが突然、司祭の胸を激しく疼かせた。あの人の顔はこの時、かつてないほどいきいきとしたイメージを伴って彼に迫ってきた。苦しんでいる基督、耐えている基督。その顔に自分の顔はまさに近づいていくことを彼は心から祈った。

鼾と聞こえたものは、穴吊りにされた信徒の呻き声であった。
これこそイノウエ筑後守が開発した、パードレを苦しめ、転ばせる一番の方法なのだ。
よしてくれ。よしてくれ。主よ、あなたは今こそ沈黙を破るべきだ。もう黙っていてはいけぬ。あなたが正であり、善きものであり、愛の存在であることを証明し、あなたが厳としていることを、この地上と人間たちに明示するためにも何かを言わねばいけない。
背教するその刹那、神の声を聴いた。
自分は今、自分の生涯の中で最も美しいと思ってきたもの、もっとも聖らかだと信じたもの、最も人類の理想と夢にみたされたものを踏む。この足の痛み。その時、踏むがいいと銅版のあの人は司祭にむかって言った。踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。踏むがいい。私はお前たちに踏まれるため、この世に生れ、お前たちの痛さを分つため十字架を背負ったのだ。
今でも欺瞞と韜晦とが払拭しきれない。
それは認めよう。
私は転んだ。しかし主よ。私が棄教したのではないことを、あなただけがご存知です。なぜ転んだと聖職者たちは自分を訊問するだろう。穴吊りが怖ろしかったからか。そうです。あの穴吊りを受けている百姓たちの呻き声がを聞くに耐えなかったからか。そうです。そしてフェレイラの誘惑したように、自分が転べば、あの可哀相な百姓たちが助かると思ったからか。そうです。でもひょっとすると、その愛の行為を口実にして自分の弱さを正当化したのかもしれませぬ。

イノウエ様の言葉が耳に蘇る。
「そこもとは転んだあと、フェレイラに、踏絵の中の基督が転べと言うたから転んだと申したそうだが、それは己が弱さを偽るための言葉ではないのか」

しかし、自分はあのときたしかに、神の声を聴いた。
「私はそうは言わなかった。今、お前に踏絵を踏むがいいと言っているようにユダにもなすがいいと言ったのだ・お前の足が痛むようにユダの心も痛んだのだから」

確信している。自分は間違っていなかったと。
自分はあの人の言われる愛の行為を実践し、うわべはどうあれ、心はほんものの切支丹になったのだ。
自分は彼等を裏切ってもあの人を決して裏切ってはいない。私は今までとはもっと違った形であの人を愛している。私がその愛を知るためには、今日までのすべてが必要だったのだ。わたしはこの国で今でも最後の切支丹司祭なのだ。そしてあの人は沈黙していたのではなかった。たとえあの人は沈黙していたとしても、私の今日までの人生があの人について語っていた。

これが愛の宗教?
心に棲みつき会話までできる、そんな都合の良い神を心に生み出してしまったようにも見える。
そもそも彼が聴いた声は本当の基督なのか、それとも幻聴なのか。判断は委ねた。

ふとした動作や何でもないような感情の記述がリアリティや人間心理の機微に触れる。さすが狐狸庵先生。
「気をまぎらわすため、眼にみえる樹木の種類をしらべながら歩きつづけました」
「魚くさい臭いを体いっぱいに発散さすこの女に、有名な聖アウグスチヌスの母親の名を与えたのは、どんな宣教師だったろう」
など。
書簡、小説、日記風の記述を組み合わせた文体も謎のリアリティ醸成に一役買っている。

イノウエ様の巧妙な転ばせ技術には舌を巻くほかない。
ホットスプリング大作戦や水磔、穴吊り、心理攻撃と隙がない。
吐瀉、唾棄、脱糞、違背するトリックスター、キチジローの役割も大きい。
ロドリゴの旅の水先案内人でもあり、神への確信を新たにさせるトリガーでもある。