Javaさんのお部屋(サム・ジーヴァ帝国図書館)

Javaさんのお部屋です。引っ越しました。詳しくは「はじめに」を読んでね。スマホ版は全体像が見えにくいから、PC版と切り替えながら見てね。

谷崎潤一郎 2

(๑╹ω╹๑ )そういやJavaさんって彼女いるの?


(・ε・)藪からスティックにどうしたい!?思わず狼狽してしまったよ…。ま、見ての通りいないよ。


あらま、おいたわしう。モテそうなのになんでだろうね。


なんでだろうね。ふしぎだね。


どんなひとがいいの?


そりゃあれさ、知性を感じる人。美人ならなお良し。あと、尻に敷いてほしい(文字通り)。


(文字通り)かぁ。JavaさんったらドMだね。ぼくはドSだから相容れないな。


里庄君、無害な顔してなかなか嗜虐的なことを言うね。そうそう、私がM気味になったのは谷崎の小説の影響も20ppmくらいあると思う。


ppmオーダーかぁ。ところで谷崎って?


何を隠そう、大文豪・谷崎潤一郎(1886~1965)だよ。いちおうノーベノレ賞の候補にもなったことがあるんだよ。晩年まで創作意欲が衰えなかったらしい。主要作品はあらかた読んだよ。


ふ~ん。代表作は?


春琴抄』や『痴人の愛』、『細雪』なんかが有名かな。あとは『刺青』や現代語訳『源氏物語』、『陰翳礼讃』『瘋癲老人日記』なんかがあるね。ちなみに私は『少将滋幹の母』とか『武州公秘話』なんかも好きだね。


へえ。なんか性的に倒錯してそうなタイトルが散見されるね。燃えてきたよ。


そうか、きみの嗜虐趣味に火をつけてしまったか。そんならいっちょ引用メインで彼の作品を紹介していこうか。

まずこれ、『春琴抄』。

密室に二人で琴のお稽古っていう、春琴と佐助の関係だけですでにアレなのに、ドSの春琴さんが、


「佐助、わてそなこと教せたか」

「あかん、あかん、弾けるまで夜通しかかったかて遣りや」

「阿呆、何で覚えられへんねん」

 

ってバチでぶん殴ってくるんだ。ついには二人の間に...


いいね!佐助役Javaさんで今度やってみようよ。


やめておくよ…。つぎは『痴人の愛』かな。

月給取りのジョージさんがカッフェーで見つけたナオミなる少女を紫の上しようとするんだけど、これがとんでもない悪女でね。お家でやりたい放題しちゃうんだ。一度はジョージさんも激おこするんだけど、結局だめだった。ていうかむしろジョージさんは二人のそんな関係やナオミが大好きなんだ。


ナオミはいつでもその「手」を用いられるように、勝負の時は大概ゆるやかなガウンのようなものを、わざとぐずぐずにだらしなく纏っていました。

そして形勢が悪くなると淫りがわしく居ずまいを崩して、襟をはだけたり、足を突き出したり、それでも駄目だと私の膝に靠れかかって頬ッぺたを撫でたり、口の端を摘まんでぶるぶると振るったり、ありとあらゆる誘惑を試みました。

私は実にこの「手」にかかっては弱りました。就中最後の手段―――これはちょっと書く訳には行きませんが、―――をとられると、頭の中がなんだかもやもやと曇って来て、急に眼の前が暗くなって、勝負の事なぞ何が何やらわからなくなってしまうのです。

「ずるいよ、ナオミちゃん、そんなことをしちゃ、………」

「ずるかないわよ、これだって一つの手だわよ」


書いてほしいね。


里庄君は子供だなあ。あえてそこを書かないことで、読者が勝手に想像を膨らませてくれるのさ。

じゃあ、『』なんてどう?女同士あ~なたとわ~たしさくらんぼするんだよ。


「ああ、憎たらしい、こんな綺麗な体してて!うちあんた殺してやりたい」わたしはそう云うて光子さんのふるてる手頸しっかり握りしめたまま、一方の手エで顔引き寄せて、唇持って行きました。すると光子さんの方からも、「殺して、殺して―――うちあんたに殺されたい、―――」と物狂おしい声聞えて、それが熱い息と一緒に私の顔いかかりました。見ると光子さんの頬にも涙流れてるのんです。二人は腕と腕とを互いの背中で組み合うて、どっちの涙やら分らん涙飲み込みました。

 

二人は結局誰も見てる者ないのんええことにして、草のぼうぼう伸びてる蔭に、それこそほんまに、大空の雲よりほかに知ってる者のない隠れ場所見つけて、「光ちゃん、………」「姉ちゃん、………」「もうもう一生仲好うしょうなあ」「あて姉ちゃんと此処で死にたい」―――と、お互いにそない云うたなり、それから後は声も立てんと、どのぐらいそこにいたんのやら、時間も、世の中も、何もかも忘れて、私の世界にはただ永久にいとしい光子さん云う人があるばっかり。………


こんなのも書いてるんだね。さぞかし当時はヤバい人扱いされてたんだろうね。


大文豪にクラスチェンジする前は悪魔主義なんて言われてたらしいからね。まあそこをただの変態で終わらなかったのが彼の大文豪たるゆえんさ。ところで、そんな彼の処女作は『刺青』ということになっているよ。

この作品の冒頭、私はとても好きだね。


それはまだ人々が「愚」と云う貴い徳を持って居て、世の中が今のように激しく軋み合わない時分であった。殿様や若旦那の長閑な顔が曇らぬように、御殿女中や花魁の笑いの種が尽きぬようにと、饒舌を売るお茶坊主だの幇間だのという職業が立派に存在して行けた程、世間がのんびりしていた時分であった。女定九郎、女自雷也、女鳴神、───当時の芝居でも草双紙でも、すべて美しい者は強者であり、醜い者は弱者であった。誰も彼も挙って美しからんと努めた揚句は、天稟の体へ絵の具を注ぎ込む迄になった。芳烈な、或は絢爛な、線と色とがその頃の人々の肌に躍った。


あとはやっぱりここだろう。最初期の作品からすでに、脚フェチであることを堂々と宣言しているよ。


鋭い彼の眼には、人間の足はその顔と同じように複雑な表情を持って映った。その女の足は、彼に取っては貴き肉の宝玉であった。拇指から起って小指に終る繊細な五本の指の整い方、江の島の海辺で獲れるうすべに色の貝にも劣らぬ爪の色合い、珠のような踵のまる味、清冽な岩間の水が絶えず足下を洗うかと疑われる皮膚の潤沢。この足こそは、やがて男の生血に肥え太り、男のむくろを蹈みつける足であった。


 「貴き肉の宝玉」かあ。確かにぼくのヴォキャブラリィからはひねり出せそうにないね。


だね。この短編集には他にも佳作が収録されているよ。『少年』。少年たちがなんだかぬめぬめした遊びに興じちゃうお話なんだ。


「人間の足は塩辛い酸っぱい味がするものだ。綺麗な人は、足の指の爪の恰好まで綺麗に出て来て居る」こんな事を考えながら私は一生懸命五本の指の股をしゃぶった。


いったいこの子たちは何をしているの!!?


さすがの里庄君もクールさを失ってきたようだね。


「お前は先仙吉と一緒にあたしを縁台の代りにしたから、今度はお前が燭台の代りにおなり」

忽ち光子は私を後ろ手に縛り上げて仙吉の傍へ胡坐を搔かせ、両足の踝を厳重に括って、「蠟燭を落さないように仰向いておいでよ」と、額の真中にあかりをともした。私は声も立てられず、一生懸命燈火を支えて切ない涙をぽろぽろこぼして居るうちに、涙よりも熱い蠟の流れが眉間を伝ってだらだら垂れて来て眼も口も塞がれて了ったが、薄い眼瞼の皮膚を透して、ぼんやりと燈火ののまたたくのが見え、眼球の周囲がぼうッと紅く霞んで、光子の盛んな香水の匂いが雨のように顔へ降った。


数え10歳の子どもにロウソクプレイ…?新しい…!?今度やってみようかな。


やめて。さて、紅一点・光子の攻勢は已むところを知らない。


次第に光子は増長して三人を奴隷の如く追い使い、湯上りの爪を切らせたり、鼻の穴の掃除を命じたり、Urineを飲ませたり、始終私たちを側に侍らせて、長くこの国の女王となった。


”Urine"って何?

巻末註解を見ると、


Urine 英語。尿。


゜  ゜       (  Д )


やっぱり谷崎は只者じゃあない。

あとは、集中の『異端者の悲しみ』も決意表明に近いね。谷崎唯一の自伝的小説らしい。


自分は蠢々として虫けらの如く生きて行く貧民の間に伍して、何等の自覚もなくその日その日を過して居られる人間とは訳が違う。自分には偉大なる天才があり、非凡なる素質がある。たまたまその天才と素質とが、成功致富の道に拙くて、芸術的の方面にのみ秀いでて居る為めに、いつまでもこうやって逆境を抜け出る事が出来ないのである。


NEETの言い訳じゃん!


そんなニートの章三郎が、友人の鈴木、そして妹の死によって覚醒する。


それから二た月程過ぎて、章三郎は或る短編の創作を文壇に発表した。彼の書く物は、当時世間に流行して居る自然主義の小説とは、全く傾向を異にして居た。それは彼の頭に発酵する怪しい悪夢を材料にした、甘美にして芳烈なる芸術であった。


自分の文学の特異性を認めていたし、自信もあったんだね。


そうみたいだね。どの写真をみても偉そうな感じの顔してるしね。中期以降の作品としては、『細雪』『少将滋幹の母』も円熟味があっていいよ。後者の「母恋い」というテーマには共感できる人も多いんじゃないかな。


おぼろげな記憶の中にある面影を理想的なものに作り上げて、それを胸奥に秘めて来た滋幹は、いつ迄も母を幼い折に見た姿のままで、思慕していたかったであろう。

彼にして見れば、永久に昔の面影を抱きしめて、あの時に聞いたやさしい声音や、甘い薫物の香や、腕の上を撫でて行った筆の穂先の感触や、そう云う様々な回想をなつかしみつつ生きて行く方が、なまじ幻滅の苦杯を嘗めさせられるより、遥かに望ましいことのように思えたでもあろうか。

 

あとは、ラストのこの場面が…よかった。


「お母さま」
と、滋幹はもう一度云った。彼は地上に跪いて、下から母を見上げ、彼女の膝に靠れかかるような姿勢を取った。白い帽子の奥にある母の顔は、花を透かしてくる月あかりに暈されて、可愛く、小さく、円光を背負っているように見えた。
四十年前の春の日に、几帳の影で抱かれた時の記憶が、今歴々と蘇生って来、一瞬にして彼は自分が六七歳の幼童になった気がした。彼は夢中で母の手にある山吹の枝を払い除けながら、もっともっと自分の顔を母の顔に近寄せた。
そして、その墨染の袖に沁みている春の匂いに、遠い昔の移り香を再び想い起しながら、まるで甘えているように、母の袂で涙をあまたたび押し拭った。


なるほどね。大文豪の面目躍如といったところか。


あとは、『瘋癲老人日記』で終わりにしようか。


一生懸命ニ気ヲ静メヨウ、興奮シテハナラナイト自分デ自分ニ言イ聞カセタガ、オカシナコトニ、ソウ思イナガラ、彼女ノ足ヲシャブルコトハ一向ニ止メナカッタ。止メラレナカッタ。イヤ、止メヨウト思エバ思ウホド、マスマス気狂イノヨウニナッテシャブッタ。死ヌ、死ヌ、ト思イナガラシャブッタ。恐怖ト、興奮ト、快感トガ、代ワル代ワル胸ニ突キ上ゲタ。狭心症ノ発作ニ似タ痛ミガ激シク胸ヲ窄メツケタ。


オイテナホサカン!


彼女ガ石ヲ蹈ミ着ケテ、「アタシハ今アノ老耄レ爺ノ骨ヲコノ地面ノ下デ蹈ンデイル」ト感ジル時、予ノ魂モ何処カシラニ生キテイテ、彼女ノ全身ノ重ミヲ感ジ、痛サヲ感ジ、足ノ裏ノ肌理ノツルツルシタ滑ラカサヲ感ジル。死ンデモ予ハ感ジテミセル。感ジナイハズガナイ。同様ニ颯子モ、地下デ喜ンデ重ミニ堪エテイル予ノ魂ノ存在ヲ感ジル。或ハ土中デ骨ト骨トガカタカタト鳴リ、絡ミ合イ、笑イ合イ、謡イ合イ、軋ミ合ウ音サエモ聞く。何モ彼女ガ実際ニ石ヲ蹈ンデイル時トハ限ラナイ。自分ノ足ヲモデルニシタ仏足ノ存在ヲ考エタダケデ、ソノ石ノ下ノ骨ガ泣クノヲ聞ク。泣キナガラ予ハ「痛イ、痛イ」ト叫ビ、「痛イケレド楽シイ、コノ上ナク楽シイ、生キテイタ時ヨリ遥カニ楽シイ」ト叫ビ、「モット蹈ンデクレ、モット蹈ンデクレ」ト叫ブ。………


ジュンジュン、負けたよ…。ぼくの負けだよ…。


打ちのめされてしまったか。無理もない。

しかしこれは君を珠に磨き上げるための蹉跌だ。世界の広さと深さを知った君に、幸あれまあ他にも佳品がたくさんあるから読んでみてね。

 

つづく(のか?)