Javaさんのお部屋(サム・ジーヴァ帝国図書館)

Javaさんのお部屋です。引っ越しました。詳しくは「はじめに」を読んでね。スマホ版は全体像が見えにくいから、PC版と切り替えながら見てね。

我と汝・対話

著者:マルティン・ブーバー 訳:植田重雄
評価:A

【概要】
”Ich-Du”(我-汝)と"Ich-Es"(我-それ)の絶えざる往還という、一見東洋的な「関係」に焦点を当てた哲学的論考。WWⅠが近代西洋にいかに大きな影響を与えたかがわかる。

【詳細】
”Ich-Du”(我-汝)と"Ich-Es"(我-それ)の絶えざる往還に焦点を当てた哲学的論考。

経験される対象の世界は、根源語<われ-それ>に属している。根源語<われ-なんじ>は、関係の世界を成り立たせている。

<それ>は永遠の蛹であり、<なんじ>は永遠の蝶である。ただ双方がかならずしも、、明確に交替するとはきまっておらず、時おり二重にもつれ合った現象を呈することがある。

なかなか難解な断章がどこまでも続くが、内容が深く豊かで、永遠なるものに心を向かわせる何かがある。
一番わかりやすい一節。
わたしはその人の髪の色とか、話し方、人柄などをとり出すことができるし、つねにそうせざるを得ない。しかし、そのひとはもはや、<なんじ>ではなくなってしまう。
あれだ。
「私のどこが好き?」
「え〜と…ぜんぶ!」
ってやつだ。
関係は相互的である。わたしが<なんじ>に働きかけるように、わたしの<なんじ>はわたしに働きかける。われわれは弟子に教えられ、作品によってつくり直されることがある。聖なる根源語が触れるとき、<悪人>も心を打ち明けるようになる。われわれは子供や動物から教えられることがある。我々は奔流する全存在の相互性の中で神秘につつまれながら生きているのである。

愛は<われとなんじ>の<間>にある。

文体や表現が高踏的でなく暖かで好感が持てる。
近代西洋の分析的、科学的風潮にドロップキックを喰らわせる。未分化、未分節といった概念は東洋思想を連想させるが、老荘や禅などと違って、<われ-なんじ>二者の関係は消えずに残り続ける。そこが違う。華厳経あたりが親和性高そう。
永遠のなんじ(創造主)には少しなじめなかったが許す。

見るもの聞くもの感じるもの、すべて<なんじ>のみで生きられたらどれだけ幸せで安らぎと温かさに満ちているだろうか。
だが、われわれはもはや原始人でも幼児でもない。事物を<なんじ>から<それ>に変え、経験や過去として並列化、組織化していかねばまともには暮せない。
しかし、<それ>のみでは人間は生きられない。周りの世界にいる<なんじ>を大切にし、<それ>がほんのひと時でも<なんじ>に変わる瞬間を見逃さずに生きてゆきたいね。

<人間以外>
ブーバー、基本的に慈愛に満ちているので、対話が成り立ったと思ったらすぐ<なんじ>認定。
猫や馬その他動物をベタ褒めする。もちろん対話が成立したと思えば植物、無生物でもOK。
存在と現実のすべての関係のうつろいやすさ、われわれの喪失の崇高な悲哀、すべて孤立した<なんじ>が運命的に<それ>へと変様することなど、猫のまなざしほど、深く感じさせるものは、いかなる言葉によっても不可能であるとわたしは思う。
たしかに。猫好きにはコロッと態度変えるからな奴ら。
わたしが馬のために秣桶の中にからす麦を入れないときでも、馬はじっとその見事な頭を立て、耳をぴくぴく動かし、鼻を静かに鳴らしていた。共謀者がその相手だけにわかる合図でもするかのように、わたしはその合図がわかった。
たしかに。馬はそこんとこすごいと思うわ。
夫が妻を愛し、彼女の生命を自己の現存の中に宿そうとするとき、彼女の目に宿る<なんじ>に、永遠の<なんじ>の光が映るのを見出すであろう。
たしかに。といつか言いたい。
ただこの瞬間に誠実であることによってのみ、われわれは瞬間の総体とは全く別の人生を経験する。(中略)
犬があなたを見つめたとき、そのまなざしに答えるがよい。子供があなたの手をつかんだとき、その触れ合いに答えるがよい。群衆があなたを取り囲むとき、彼らの苦しみに答えるがよい。
その瞬間瞬間をに真摯であることが、永遠に至る扉の鍵になるわけですな。
たまたま植字工が機械のうなりを、<楽しげな感謝のこもった微笑のようにきこえた。わたしが機械を助けて、機械の動きを乱し傷めつけていた不調や障害を取り除いて、自由に動くようになったことへの感謝のようである>と語る場合もあることを知ってほしい。
日本人には理解しやすい気がするぞ。

<いるよね編>
その関係が対話的な関係に成功しない場合、それはただ相手の欠陥のせいであるというような接し方をしている人々もわたしは知っている。 

<カッコいいセリフ>
もし、われわれが、けっして消え去ることなき真実の世界を愛するならば、あらゆる恐れの中にあっても、すすんで愛し、われわれの精神の腕で世界を抱擁するならば、われわれの手は、この世界を支えている別の手に出合うであろう。

この瞬間は永遠であるとともに、もっとも消え去りやすい。この瞬間からは、なんの内容をも保持することはできないが、しかし、この瞬間のもつ力は、人間の創造活動や認識活動の中にはいってゆき、その力の光は、秩序づけれた世界へと流れこみ、いく度もそれを創りかえる。これは個人の歴史においても、民族の歴史においてもあてはまる。

君にとって本書は<なんじ>たり得たであろうか。
ベルグソンサルトルとかも読んでみたいね。

WWⅠが近代西洋にいかに大きな影響を与えたかを雄弁に物語っている。
WWⅡは言うに及ばず、朝鮮、ベトナム、中東で戦争起こしちゃうんだけどね。
国家間の戦争が小康状態となったと思いきや、今度は国際テロ組織が跋扈する混迷の世。社会の情報化も進んで世界は<それ>に還元されようとしている。そんな中、face to faceで対話することの重要性がいやがうえにも高まっているぞ。
集合体は、組織的な個人の人格性の抹殺の上に成り立ち、共同体は互いに向かい合うことによる人格性の高揚とその確認の上に成立する。今日の集団生活への熱狂は、共同体の人格の鍛練や浄化向上からの逃避であり、世界の心臓に自己を賭けることを要求する生命的な対話からの逃避である。