監督:片渕須直
【評】
同名原作を不屈の闘志で劇場アニメ化。いわく言いがたい感慨を懐かせる変なアニメ。
1話完結型の原作がスムーズにつながるように編集・補完されている。
遅効性なので良さがわかるには少し時間がかかるかも。
原作にない部分の例としては、リンの生い立ち(出資者ロール)や、失くした右手がすずの頭を撫でるシーンなど。
昭和10~21年の広島、呉でのすずたちの暮らしを描く。
学校へ行った日、戦争が始まった日、嫁に行った日、空襲があった日、人が死んだ日。
どんな日も人は生きてゆかねばならない。
水汲み、炊事、裁縫、掃除、配給、隣組、
そんな日常をユーモアで包みながら人々は生きていた。
なにげない仕草が流れるように自然であり、
アニメーションであることを忘れ、あたかもその時代に生きているかのような錯覚を起させる。
嬉しいことも悲しいこともすべて一緒くたに流れていく。
非日常が日常となり、慣れていく。記憶の一隅に座を占める。
後で振り返ったとき、その総体を人生と呼ぶのだろう。
高角砲や戦闘機の爆音にも揺らぐことはなかった、
「景色も人も優しうかすんで見えた」世界。
そんな世界もひとたび蓋が開くと残酷な一面を覗かせることを、
晴美の死と敗戦が教えてくれた。
そんなわけで、すずの
「うちも知らんまま死にたかったなあ……」の意味がマイルドになっている(マンガ比)。
戦争が終わっても暮らしは終わらない。
日常の至近に潜む死と暴力の恐ろしさを知った人々は、
日々の暮らしや周りの人々を、よりいっそう慈しみながら生きてゆこうと誓ったことだろう。
「ありがと この世界の片隅に うちを見つけてくれて」
☝片隅「で」じゃなくて「に」、
というのが主体的、限定的(at)なすずの決意を表しているように見受けられるね。
「今日までそして明日からも」こうして生きてゆくだろう。
<ええ感じのシーン抜粋>
- すず夫妻の接吻シーン×2
- 義姉・径子の「何ね そのツギだらけの~」⇒「あんたの居場所は~」⇒「晴美ぃ…」に至る慟哭シーン(いちばんクる)
- すずの眼を閉じ首をかしげる「ありゃ」(困った表情のその裏にある思いは…?)
- 絵画に紛れ込む水原さん「波間を跳ぶウサギ」
- 初空襲時の絵画的表現「いまここに絵の具があれば…」
- 時限爆弾爆発後~覚醒までのフシギ描写
- 「~とき、~した右手」の右手ラッシュ
<ありがとう、うちを見つけてくれて>
「この世界の片隅に」公式ファンブック。
寄稿マンガと寄稿文を聚めた「このせか」本。作り手とファンの愛情に満ち満ちており、世界も捨てたもんじゃないと思える。「世界の片隅」を媒介に見出した各々の「世界の片隅」は、接続されて「世界」になる。
[2020.01.12追記]
「さらにいくつもの」鑑賞。
けっこー際どいシーンが増えている(๑╹ω╹๑ )
周作とリンとすずの心の秘密、伯母夫婦関連のカットなど。音楽も。
少なくとも確実に下記のシーンは追加されていたと思う。他にもこますぎて気付かんくらいのも。
- 水原さんのいじめっ子描写
- 小松菜種蒔き
- 屋根裏に荷物疎開
- 竹槍訓練
- 夜の営み💛☜これ絶対入ってるよね
- テルさん登場
- お花見
- エンジン試験
- 遊廓焼け跡チェック
- 実家近くに戦災孤児
- 枕崎台風☜自然は人間の事情に構わず手心も加えない
2016年版よりも、さらに連続性・立体性・深みが増し、漫画と違う「このせか」ワールドが醸成されたのでは。約3時間も長く感じない。
- 字幕版で観たが、字幕がところどころ重畳しているのはNG。
- 個人的には、すずが自分たちが加害者でもあったことを自覚する終戦の日の落涙シーンがあってもいいかも。
- 傘を「差す」が「挿す」の隠喩になっている?(いまさら
-
あとやっぱり径子さんよね。玉音放送からの「あ〜終わった終わった」→「晴美ぃ…」がすこすこな場面(๑╹ω╹๑ ) 広島原爆投下日のあたりから「悪かった。晴美が死んだのをあんたのせいにして」と態度を改めるのも👍ほんとうの家族になった気がした☺️