Javaさんのお部屋(サム・ジーヴァ帝国図書館)

Javaさんのお部屋です。引っ越しました。詳しくは「はじめに」を読んでね。スマホ版は全体像が見えにくいから、PC版と切り替えながら見てね。

無縁・公界・楽

著者:網野善彦
評価:B+

【評】
散発的で全体としてのまとまりに欠けるような感じはあるが、中世末にこのような動きが各地で起っており、同時に人々の認識が変わっていった、という雰囲気が伝わってくるのでよしとする。

そう、彼等職人・芸能民が、「自由」「平和」を権力者から束の間でも勝ち取ったその記憶を、いつまでも憶えていたいと願うから。

多くはそれぞれの「芸能」をもって、天皇・神仏に奉仕する人々で、各々、独自な「道」をもつ「道々の輩」であった。

「無縁」の原理を色濃く身につけた、これらの「職人」「芸能民」――非農業民は、たしかに量的に、農業民に比べて少数であったことは間違いなかろう。しかし、この人々の日本の社会・経済・政治・文化に及ぼした影響の大きさ、多彩な活動の実態は、未だほとんど明らかにされていない。

われわれは断言してもよかろう。中世都市の「自治」、その「自由」と「平和」を支えたのは、「無縁」「公界」の原理であり、「公界者」の精神であった、と。

俗権力も介入できず、諸役は免許、自由な通行が保証され、私的隷属や貸借関係から自由、世俗の争い・戦争に関わりなく平和で、相互に平等な場、あるいは集団。まさしくこれは「理想郷」であり、中国風にいえば「桃源郷」に当る世界とすらいうことができよう。

戦国時代以降、こうした人々に対する大名の警戒心は強まり、「無縁」の場が次第に狭められていったのと同じように、これらの人々の「自由」な活動も不可能になっていく。そして、彼等のある部分の前途には、さきの「願人坊主」と同様、卑賤視の運命がまちかまえていた。

こうした世界は、次第にその一部は権力の網の目に組織されつつあったとはいえ、全体としては、なお野生にみちた強力な生命力を、社会のいたるところで発揮し、それを「差別」の中に封じこめようとする動きに、決して圧倒されてはいない。

あとは、「有主・有縁-私的所有が、無主・無縁の原理-無所有に支えられ、それを媒介としてはじめて可能になるという事実は、極めて本質的な問題」という記述と、
「誠腹筋痛き事に候」がとってもおもしろかったです。