Javaさんのお部屋(サム・ジーヴァ帝国図書館)

Javaさんのお部屋です。引っ越しました。詳しくは「はじめに」を読んでね。スマホ版は全体像が見えにくいから、PC版と切り替えながら見てね。

太陽と鉄

著者:三島由紀夫
評価:B+

【評】
ユキオが自己形成の歴史を特異な表現形式にて語る『太陽と鉄』、
および『私の遍歴時代』を収める。
前者は難解だが面白い。後者は青年のナルシシズムや太宰との邂逅が見所。

私の自我を家屋とすると、私の肉体はこれをとりまく果樹園のようなものであった。(略)
あるとき思いついて、私はその果樹園をせっせと耕しはじめた。使われたのは太陽と鉄とであった。たえざる日光と、鉄の鋤鍬が、私の農耕のもっとも大切な二つの要素になった。そうして果樹園が徐々に実を結ぶにつれ、肉体というものが私の思考の大きな部分を占めるにいたった。

私にとっては、まず言葉が訪れて、ずっとあとから、甚だ気の進まぬ様子で、そのときすでに観念的な姿をしていたところの肉体が訪れたが、その肉体は言うまでもなく、すでに言葉に蝕まれていた。

言葉は現実を抽象化してわれわれの悟性へつなぐ媒体であるから、それによる現実の腐蝕作用は、必然的に、言葉自体をも腐蝕してゆく危険を内包している。むしろそれは、過剰な胃液が、胃自体を消化し腐蝕してゆく作用に譬えたほうが、適切かとも思われる。

私は言葉の全く関与しない領域にのみ、現実および肉体の存在を公然とみとめ、かくて現実と肉体は私にとってシノニムになり、一種のフェティッシュな興味の対象となった。

造形美に充ちた無言の肉体を、造形美を模した美しい言葉と対応させることによって、同一の観念の源から出た二つのものとして同格に置いたとき、すでに私はわれしらず言葉の呪縛から身を解き放っていたといえるのだ。
 
今、私の筋肉が、一つの世界を確実に嚙み砕き、嚙み砕いたあとでは、あたかも筋肉が存在しなかったのごとく感じられた。

書物によっても、知的分析によっても、決してつかまえようのないこの力の純粋感覚に、私が言葉の真の反対物を見出したのは当然であろう。
すなわちそれは、徐々に私の思想の核になったのである。

おまけ。

F104、この銀いろの鋭利な男根は、勃起の角度で大空をつきやぶる。その中に一疋の精虫のように私は仕込まれている。私は射精の瞬間に精虫がどう感じるかを知った。