Javaさんのお部屋(サム・ジーヴァ帝国図書館)

Javaさんのお部屋です。引っ越しました。詳しくは「はじめに」を読んでね。スマホ版は全体像が見えにくいから、PC版と切り替えながら見てね。

日本的霊性

著者:鈴木大拙

【評】
大拙和文著書。
文体の、英文の和訳との違和感のなさに驚くがよい。
硬質で歯切れの良い文体(「突入」「爆砕」)とともに、キミも東洋思想を再評価する旅に出よう。

「精神と物質の世界の裏に今一つの世界が開けて、前者と後者とが、互いに矛盾しながら、しかも映発するようにな」るための意識(無分別智)、「霊性」を導入。
日本人の霊性は外来のものから作られたのではなく、元よりあったものが発現したのだと説く。

始めに日本民族の中に日本的霊性が存在して居て、その霊性がたまたま仏教的なものに逢著して、自分のうちから、その本来具有底を顕現したということに考えたいのである。

 

人間は大地において、自然と人間との交錯を体験する。
人間はその力を大地に加えて、農産物の収穫に黽める。
大地は人間の力に応じてこれを助ける。
人間の力に誠がなければ大地は協力せぬ。
誠が深ければ深いだけ大地はこれを助ける。
人間は大地の助けの如何によりて自分の誠を計ることが出来る。
(中略)
大地は人間に取りて大教育者である。大訓練師である。
人間はこれによりて自らの感性をどれほど遂げたことであろうぞ。

 

霊性は大地を根として生きて居る。萌え出る芽は天を指すが、根は深く深く大地にくいこんで居る。
それ故平安文化には宗教がない。平安人というは大地を踏んで居ない貴族である。


神社神道も、空海最澄も、『万葉集』も、『古今和歌集』も、『源氏物語』も、『枕草子』も、
まだ萌芽の途上で霊性的自覚はなかった。
大地に生きる民と仏教の出逢った、鎌倉時代からすべては始まった。

日本的霊性を支える二つの柱として、「禅」と「浄土」系思想に注目。
本書では、「禅」よりも「浄土」思想に重点が置かれている。

法然親鸞ラインおよび数多の妙好人の言行を多数引用しながら、時間を超越した一元的境地へ至る要諦を説く。
なかでも才市のことばは平易でよろしい。

●浄土

親鸞は罪業からの解脱を説かぬ。すなわち、因果の繋縛からの自由を説かぬ。
それはこの存在――現世的・相関的・業苦的存在をそのままにして、弥陀の絶対的本願力のはたらきに一切をまかせるというのである。
そうしてここに弥陀なる絶対者と親鸞一人との関係を体認するのである。

 

現世を超えんとするところに祈りがある。
(中略)
一心のところに永遠がある。それは久遠の今である。南無阿弥陀仏の一声である。

●禅

時間そのものを超越すると、そのとき寂滅の正体が得られる。寂滅は何もかも有無の無になったというのではない。絶対無に徹したといえばよかろう。ここで生滅のない、生死に繋がれない霊性的生活が可能になる。生と死は肯定と否定の世界で、これを超える、あるいは生滅滅已するところが寂滅、すなわち肯定即否定、否定即肯定ということである。

 

寂滅為楽は、決して生を滅するの意ではないのである。生じて滅し、滅して生ずるという時間的連続の無窮性を打破して、初めて自分の本来の姿を見ることが出来る。


「AはAでないがゆゑにA」式の、
一見非論理性なように見える東洋思想の論理をよみとくためのキーワード、概念が次々に繰り出される。
「矛盾の自己同一」「絶対無の場処」など、盟友・西田幾多郎ともシンクロナイズドしておる。

やや粗めだがパワーのある著書。齢70を越えてこの元気
陶酔していたところ解説で釘を刺された。自己肯定・否定のバランスが大事だね。

●おまけ
↓ 94-year-old Daisetz.めちゃ元気やんけ。

「無限への憧憬」を持ち続けたいところやね。