監督:高畑勲
共同体の桎梏と恩恵を捨てて、誰もさわれない二人だけの国へ。見方が変わると味方が変わる。清太の「愚行」をどう思うかは各人の社会性と成熟度に委ねるが、若い人を辛い目に合わせるような社会にしないことには合意するよな? 時代の写し鏡となるような作品である。
【詳細】
〈あらすぎるあらすじ〉
冒頭から清太死亡。
清太と節子の霊魂が彼らの戦争体験を追体験する。死なないと二人での真に平安な生活が実現しないのは悲しい。
母を空襲で喪いおばさん家へ居候。
上級軍人(巡洋艦長)家への妬みもあってか、最初は呉れていた同情もすぐに薄れる。針のむしろとなった狭隘な共同体からの離脱を図るべく家を出る。
空き防空壕を宿とし、節子との暮らしを始める。
が、口座にあった7千円もの大金も高騰する闇物資に消えてゆく。七輪、鍋、蚊屋、ふとんなどを持ち込みブランコも作った我らが家。初めは秘密基地感があって楽しかった節子との生活も現実に直面し暗雲がたちこめてくる。
栄養失調で眼の光を失っていく節子に滋養をつけるべく、盗みにも手を染める清太さん。西瓜を口に含ませるも、それが死に水となろうとは。
対岸でお金持ちお嬢様の流すレコードをBGMに、清太不在時の節子ひとり遊びが上映される。
節子の棺は行李。火葬。その後は…冒頭へ戻る。
現代のビルを眺めながら清太は何を思う。
〈印象〉
〇隣組からの離脱は、共同体からの・配給からの離脱を意味する。桎梏と安定、自由と不安定。人の世はままならない。
〇鑑賞者の社会性や成熟度を測る指標であり、思想(自助、共助)のリトマス紙でもある。節子の前では頼りがいある兄貴としてつとめて明るくふるまうが、大人の前ではぶっきらぼうで暗め。まあ中学生だもの…。それにしても時代の趨勢からすれば、浮いた存在のアウトサイダーだったろうなあ。
清太の「愚行」をどう思うかは各人の社会性と成熟度に委ねるが、若い人を辛い目に合わせるような社会にしないことには合意するよな?
〇実写映画よりも却ってリアル。
・冒頭の行き倒れ少年たちへの対応が死や戦争への慣れを感じさせる
・冒頭の行き倒れ少年たちへの対応が死や戦争への慣れを感じさせる
・節子死んでないよな?⇒あ、生きてる…。清太の表情が不安から安堵に変わるところ
・舐めるような火の描写
・死んだ蛍の後ろ脚が蚊屋の網目に引っかかって落ちるシーン
・おばさんが上がり框に上るのがちょっと遅いあたり(いらつき)
・掃射後セミの声が戻る
・おかあちゃんの火傷、遺体にわく蛆
〇節子の無邪気な声や泣き顔への移行、歩く歩幅、背中のあせも…確かにこの妹の笑顔を何とかして守ってやりたいと思う清太の気持ちはわかる。
・死んだ蛍の後ろ脚が蚊屋の網目に引っかかって落ちるシーン
・おばさんが上がり框に上るのがちょっと遅いあたり(いらつき)
・掃射後セミの声が戻る
・おかあちゃんの火傷、遺体にわく蛆
〇節子の無邪気な声や泣き顔への移行、歩く歩幅、背中のあせも…確かにこの妹の笑顔を何とかして守ってやりたいと思う清太の気持ちはわかる。
・名ゼリフ集
「味がいっぱいする~」
「…それから、またドロップなめたい」
「何でホタルすぐ死んでしまうん?」
「味がいっぱいする~」
「…それから、またドロップなめたい」
「何でホタルすぐ死んでしまうん?」
〇その他