【概要】
著者(監督):出口治明
ゾロアスター教、セム的一神教、ギリシャ哲学、諸子百家、仏教、キリスト教宗教哲学、西洋近代哲学など、世界と人間の真実をめぐる思想潮流をたどる。
講義はですます調でよもやまトリビアを交え進行するので、ハードカバーのごんぶとな外見の割にはスイスイ進む。推薦図書が大量に記載されているので、概論に飽き足りない人は詳論まで分け入るべき。
【詳細】
<目次>
- はじめに ── なぜ、今、哲学と宗教なのか?
- 第1章 宗教が誕生するまで
- 第2章 世界最古の宗教ゾロアスター教がその後の宗教に残したこと
- 第3章 哲学の誕生、それは“知の爆発”から始まった
- 第4章 ソクラテス、プラトン、アリストテレス
- 第5章 孔子、墨子、ブッダ、マハーヴィーラ
- 第6章(1) ヘレニズム時代にギリシャの哲学や宗教はどのような変化を遂げたか
- 第6章(2) ヘレニズム時代に中国では諸子百家の全盛期が訪れた
- 第6章(3) ヘレニズム時代に旧約聖書が完成して、ユダヤ教が始まった
- 第6章(4) ギリシャ王が仏教徒になった? ヘレニズム時代を象徴する『ミリンダ王の問い』
- 第7章 キリスト教と大乗仏教の誕生とその展開
- 第8章(1) イスラーム教とは? その誕生・発展・挫折の歴史
- 第8章(2) イスラーム教にはギリシャ哲学を継承し発展させた歴史がある
- 第8章(3) イスラーム神学とトマス・アクィナスのキリスト教神学との関係
- 第8章(4) 仏教と儒教の変貌
- 第9章 ルネサンスと宗教改革を経て哲学は近代の合理性の世界へ
- 第10章 近代から現代へ。世界史の大きな転換期に登場した哲学者たち
- 第11章 19世紀の終わり、哲学の新潮流をヘーゲルの「3人の子ども」が形成した
- 第12章 20世紀の思想界に波紋の石を投げ込んだ5人
<メモ>
- 世界の構造や真理、人間の時間に対する不安・いかに生くべきかという苦悩。それらになにがしかの答えを出そうと懸命に取り組んできた者たち。その過程で発生した古今東西のミームの相互連関・融合・発達を追う。当時にあってはそれらは同時代人の科学であり真理に至る学問であった。
- 出口の著作になじんだ人はけっこうデジャヴが多いかも? 陰陽五行説とアリストテレスの四性質説の類似性、孟子の易姓革命論とルソーの社会契約説の類似性などを指摘したりもする。人間の考えることは似通ってくるのかもしれぬ。ルソーの苦労人コラムも興味深い。
- 関係ないが 『意識と本質』もよろしく。
〇はじめに/おわりに
この本では、世界を丸ごと把握し、苦しんでいる世界中の人々を丸ごと救おうとした偉大な先達たちの思想や事績を、丸ごと皆さんに紹介したいと思っています。皆さんが世界を丸ごと理解しようとするときの参考になれば、著者としてこれほど嬉しいことはありません。
人間が何千年という長い時間の中で、よりよく生きるために、また死の恐怖から逃れるために、必死に考えてきたことの結晶が哲学と宗教の歴史でもあります。もしかすると、どこかに明日への扉を開く重大なヒントが隠されているのかもしれません。
少なくとも僕はそう信じて、この本を書きました。
〇最古の世界宗教ゾロアスター教:時間の直線的把捉、善悪二元論
〇ギリシャ哲学者列伝
〇ストア派
〇ペルシャに対抗して旧約成立。ユダヤ教革新運動の結果としての新約成立。
アリウス-ネストリウス-アタナシウス(三位一体説)のイエス解釈のグラデーション。キリスト教の国教化・拡大と教義の変遷・分裂。
〇大乗仏教:教義の多様化
〇ルネサンス~近代前期:信仰より理性上位の時代
〇近代合理哲学
イングランド経験論と大陸合理論+政治哲学
⇒カント(感性と悟性が認識の道具、認識あって対象がある)がいちおう統合。
>カント
カントによれば人間には純粋理性と実践理性がある。
⇒「純粋理性は認識の枠によって認識という仕事をする、実践理性は道徳法則(人間界のア・プリオリな自然法則みたいなもの)に従って人間を実行に移させる」
⇒人間の主観的な行動原理が格率
⇒格率は学習を重ねていけば道徳法則と究極的に一致
⇒己を高めると実践理性が自ずと格率に従い道徳法則に適う。自然法則や真実への理解も深まるオマケつき。
⇒感性を悟性で錬磨して認識能力を精錬すべき
自律とは、人間の実践理性が、外的な権威や欲望に左右されず、自分の信念(格率)に従って行動するよ
うになることだと、カントは定義しています。端的に述べてしまえば、人が自由になることです。自律を達
成したとき、人間の格率すなわち信念は道徳法則と一体になるのだと、カントは考えました。
そして、このように自律した人間のことを人格と呼び、自律した人格が集まれば理想社会が実現できると
カントは考えました。その社会を「目的の王国」と呼んでいます。それが実践理性の究極の姿であり、人間
の正しい認識と正しい立ち居振る舞いなのだと、結論づけています。
>ヘーゲル
「絶対精神を手に入れて人間が自由になるプロセスが歴史である」とヘーゲルは語った
人間の精神活動も、正・反・正反合の止揚を繰り返しながら、らせん階段を昇るように進歩していくと、ヘーゲルは考えました。そして最後には人間精神の最高段階に達して、「絶対精神」を獲得するのであると。
「ヘーゲルの考える絶対精神とは何か。それはカントが考えていた人間が認識している現象(主観)と、存在の実像である対象(客観)を一致させたものです。すなわち、精神の最高段階です。カントは、人間の認識は永遠に実像である対象には至らず、現象で終わると考えました。ヘーゲルは人間の精神が弁証法によって絶対精神を獲ち取ることで、現象と対象が一致する、すなわち人間は世界の対象(真実)を知ることが可能になると考えたのです。
〇ポスト近代
実存:自らの主体的な真理を求めて生きるべき(主観的ではない点に注意)
産業革命とネーションステート(国民国家)の成立という、人類史上最大規模の2つの大きなイノベーションが起きて、ヨーロッパが世界の覇権国家へと勃興していく中で、ヘーゲルという壮大な哲学大系を成立させた父を持つ3人の子どもたち。父の考え方に反抗し神に救いを求めた、繊細な長男キルケゴール。父を尊敬しその理念をもっと科学的に推し進めようとした、次男マルクス。そして父の絶対精神を認めず神とも絶縁して、一人で生きぬいた三男ニーチェ。
この3人をヘーゲルの子どもという観点から、また近代の最後の哲学者として見ていくと、ここに現代の精神の大枠が用意されているようにも思われます。歴史は進歩していくという考え方と、進歩しないという考え方。歴史は進歩すると考えれば、頼るべきものは不要です。それとも世界は進歩しないと考えて、宗教のような絶対者に頼るか。またはプロメテウスのように、神に罰せられても、自分自身の力への意志で生きぬくのか。
僕たちが現代をどう生きるか、を考えようとすれば、右に述べたような大枠の中で考えることになりそうです。
〇連載