Javaさんのお部屋(サム・ジーヴァ帝国図書館)

Javaさんのお部屋です。引っ越しました。詳しくは「はじめに」を読んでね。スマホ版は全体像が見えにくいから、PC版と切り替えながら見てね。

夜の歌

夜の歌

【概要】
著者(監督):なかにし礼

祖父にもらって。上下2段組はしんどいが、だんだん引き込まれていく。

満州からの壮絶な引き揚げの記憶と、華やかな芸能界生活、そして転落。人間存在の醜さ穢さおぞましさをこれでもかと描くが、時折微かに覗くのは世界の美しさ。ゴーストなる狂言回しを登場させ、著者のドキュメンタリー的内容を小説にまで昇華させた。

事実は小説よりも奇なり、といわんばかりの満州引き揚げの逃避行の記憶が生々しい(機銃掃射、男/女狩り、リンチなど。全部が全部実話じゃないと思うけど)。そしてクソ兄の存在も憎たらしい。

こんなにも世界は醜い、だが生きるに値する。そんな気にさせてくれる体験をもたらす本でしたね。


【詳細】
<メモ>

〇総集編

 

「起きろ!」と誰かにどやされたように私は目覚めた。そのあとにつづく逃避行。ソ連軍機の機銃掃射。雨、風、寒さ、暑さ、ひもじさ、あまたの死を見る恐怖。身近に迫りつつある自分の死への恐怖。そして敗戦。満洲国崩壊。ピストルを突きつけられ、目の前で引き金を引かれ、弾丸が自分の耳をかすめていった時の失神しそうな恐怖。ソ連軍兵士たちによる夜毎の暴行。避難民生活。ここにひもじさと病気への恐怖。父との再会。束の間の安堵ののちに強制連行される父の後ろ姿。一家心中のあった家への転居。死の匂いのする家での生活。父の帰還とその死。父のあまりに粗末な埋葬。祖国日本から見棄てられた悲しみ。室田との同居。室田の狂気的病気との母の格闘。それを日毎夜毎に見る恐怖。恐怖、恐怖、恐怖……。密告者としての母の犯行を知った幻滅。あげくの果てに不貞をはたらいた母への幻滅ふたたび。なにか一つでもいいことがあったであろうか。なにもない。なんにもない!

 

どこまで史実かわからないが、壮絶すぎるでしょう。

この虹色の島は
今やその名を失った遠き島より
流れきたった椰子の実が
ついにたどり着いた離れ島なのだ
爆撃と銃弾と逃避行
飢餓と疫病と死の恐怖
人間の愚劣と残酷に押しひしがれ
うめき声をあげた幼年期から
貧乏と飢えと屈辱にまみれた
青春時代をくぐり抜けてきて
私がやっと探しあてた隠れ家だ

 

〇記憶の反芻

 

人生を真剣に生きようとする者は、過去の体験をなんともなんども反芻する必要があるのよ。過去の体験は、その人独自の、世界で唯一無二の長大な大河小説のようものなのよ。一回や二回読んだくらいで理解できるはずがないわ。三回、四回いや百回、千回、万回読んでもまだ理解不可能なものなの。過去の体験を適当な解釈をして本棚にしまい込んではいけないわ。なぜなら記憶っんていうのは大抵本人の脚色演出のもとに整理されているから。人間誰しも過去の体験を、まさに初めて遭遇したかのように新鮮に追体験することは無駄じゃないわ。それは新しい自己発見と自己創造でもあるから。

 

「あの絶望を封印したことで、ぼくは今日までなんとか生きることができたんだもの」
「永遠に封印したいってこと?」
「うん、もちろんさ。あんな絶望は二度と願い下げさ」
「そうはいかないわ。あの光景をもう一度はっきりとその目で見て、確認して、もう一度絶望に打ちひしがれなくては、本当の君の全人格は完成しないの。それをしないかぎり、君はいつまでたっても、土台のない、つまり足のない幽霊みたいな存在でしかないのよ。そんな幽霊が、歌が書きたいなんて笑わせないでよ。たとえ歌とはいえ、君の全存在をかけて書かなくては人の心を打つなんてことはできないわ」

 

敗戦~満州引き揚げの幼年期の記憶、青年期~壮年期の記憶を、吐息の交換なる幻想的かつ官能的な接着剤で繋いだ感じ。幼年期の戦争の記憶を反芻しながら著者は生きてきたのだ。

 

「もっと素直になって!」
「ゴーストは裸で突っ立っていた。手にしている吐息の交換機が鞭のように見えた。
「もう、迷うことなく言える。ぼくの人生における最大の経験は、戦争だった。あの戦争の中には、ぼくの人生で味わった喜怒哀楽の最大最高最低最悪のものがあった。あれを超えるものに出会ったこともないし、これからも出会うことはないだろう」

 

「レイ君、君は今、無限につづく時の流れの中の今というこの一点に浮かんでいる。君は今、無窮なる宇宙のここ、この一点に浮かんでいる。君の命は、時間と空間が交差する黄金の十字路のその中心に坐っている。そのことを考えてみただけで、これを奇跡と思わない?」
「思います。これこそ奇跡です。ぼくは今、無限の時間と無窮の宇宙が交わるその一点にあって、命の神秘にふるえている」

 

「そう。知性を総動員して全身全霊をかけて、もがき苦しむのよ。そのもがき苦しむ闇の向こうに黄金の十字路がうっすらと浮かんでくる時がきっと来るでしょう。閃きとはそれぐらい希有なことなのよ」


「君のこれからの人生は、黄金の十字路を再現するため
の悪戦苦闘になるでしょうから」

 

〇逃避行・引き揚げの記憶

大地のあちらこちらに人間の死体が転がっていた。線路際にあるのはたぶん先行する避難列車が捨てていったものであろう。どの死体も衣服を剥がされて丸裸だ。白い足袋だけを履いた女の死体もある。だが、線路から遠く離れたところにあるのは中国人の暴徒によって襲われた開拓団の人たちであろう。もうかぞえられないほどの死体が累々と折り重なってつづいている。見渡すかぎり死体の山だ。この人たちが長野開拓団の人たちでないことは理屈では分かっていたが、私にはどうしても彼らと重なって見えて仕方がない。私が指をひきはがし、手をに突き放した人たちが、中国人の暴徒に襲われ、虐殺されたにちがいない。そうだ。きっと同じ人たちなのだ。私が見殺しにした人たちなのだ。

 

駆け寄ってくる自分の家族を認めて父は、その大きな身体を伸びあがらせ、
「いたかあ。みんな、元気かあ」
と両手を上げた。父のそんな姿には後光がさしていた。私と姉は母を追い抜き、父の腕の中に二人一緒に飛び込んだ。

収容所の中には家族とはぐれて、まだ会えないでいる人たちがいっぱいいた。その人たちの羨望の眼差しを浴びながら、私たち家族は抱きしめあい身体をさすりあい、再会を喜びあった。

ただ、そんな再会もむなしく…。 

 

一時間も経った頃、ドアが乱暴に開けられ、ほうり込まれるようにして娘が帰ってきた。
「おう……」
とみんなは意味の分からない声をもらした。娘はお腹のあたりを押さえて身をかがめ、苦痛をこらえる表情で母親のそばへ寄った。
「ああ……つらかったろうねえ」
母親はそれだけを言うと、娘をかき抱いてその背中をさすっている。

その時、奇妙な現象が起きた。犠牲になった娘の母親にたいしてあれほどまでに感謝の言葉をならべていたはずの避難民たちが、みな一様に静かに身をずらしながら、その親子から離れはじめた。

私はこの光景を見て驚いた。娘にたいして感謝と労いの言葉をかけてやることもなく、まるで汚れたものでも見るようにして、避難民たちは犠牲になった親子を遠巻きにした。

親子はいっそう身を小さくして部屋の隅へのがれ、そこで抱きあって泣きつづけた。そのすすり泣きはいつまでもいつまでもつづいた。

 

基本的には引き揚げの記憶はどす黒いものだが、時折ナターシャとピーシャしたりもする。

 

満洲のバカヤロー!」
人々は泣きながら紙幣をばらまいていた。満洲への未練を断ち切るような思いを込めて空に向かって投げている。無数の緑色の紙幣は船から尾を引いて空中をただよい、やがて海に舞い落ちていった。
満洲のバカヤロー!」というこの思いを、さりげなく、しかし嘘偽りなく歌にできたら、きっといいものになるだろう。歴史とか世界とか人々の生活を無残に崩壊させる大いなるもの、神の力などとは言わない、悪魔の手になるのか、善魔のなすものかは分からないが、とにかく止めようのない大いなる力がある。それをさりげなく恋の歌の形で表現できたら、そこには万人が納得する必然性が歌の柱になってくれるだろう。
タイトルは『恋のハレルヤ』で決まりだ。

 

〇加害者としての皇軍

今まで散々日本人に痛めつけられ、彼らも抗日活動をつづけていたのだから、食料など売らなければいいではないか。日本人が餓死するところを見て快哉を叫べばいいではないか、と私には思われたが、彼らはその次元に
いなかった。それは彼らの商才から来るのか、優しさから来るのかは分からない。なにしろその同じ中国人が、列車から投げ落とした死体に群がって衣服をはがし、時計や指輪を奪い、金歯まではずして喜々としている。そればかりではない。開拓村では大勢の日本人が中国人の暴動によって撲殺されていると聞く。かと思うとこんどは子供を育ててあげるから預けろと言う。どっちの中国人が本当の中国人なのか。中国という国は広い。人間という生き物もさまざまな生き様を見せるということか。
私のとりあえずの結論は、一人の中国人の中に善い人間と悪い人間が同居しているということだった。ということは、私の中にも善い人間と悪い人間が同居していることにもなる。私はこの時初めて、自分の心の奥深くになにか冷たくどろどろしたものが渦巻いていることを感じた。

 

「私は汚くない。日本人はもっと汚い。日本人は私の父を殺した。日本人は私の母と姉を強姦した。私の妹をさらっていった。日本人は私たちの家を焼き払った。私たちの土地を奪った。私たちは牛や馬みたいに働かされ、使いものにならなくなったら順番に殺された。これ、私だけでない。満洲じゅうでいっぱいあった話。王道楽土、嘘ばっかり。五族協和、嘘ばっかり。日本人は、満洲を焼きつくし、奪いつくし、殺しつくした。私にはこの家をもらうくらいの権利はある」
王のつぶやきは次第に涙まじりになり、泣き声になり、しまいには叫び声になった。

 

〇阿片

阿片は高価であるばかりか値段の変動が少なく、しかも軽量で運搬が容易であるため、中国では通貨同様にみなされていた。末端価格は原価の八倍といわれ、莫大な財政収入をもたらすところから、各地の軍閥はケシの裁
培を奨励し、阿片を売りまくっていたから、結果として中国は世界最大の麻薬市場となっていた。そこへ日本が割って入り、輸出、輸入、製造、販売、密造、密売の主役となっていったのが、阿片にまつわる日中戦争の一連の流れだった。

 

こうやって日本は満洲国において、口では阿片禁止を唱えながら、実際には阿片推進政策を進め、巨額の専売益金を獲得した。その金額は、一九三六年度で一三三一万円、全歳入の五・○パーセント。一九三九年度で三三
七三万円、全歳入の五・六パーセントと、三年間で三倍近くに膨張している。要するに、阿片中毒患者を倍増させていたのである。しかし、これはあくまでも表向きの収益金であって、密造、密売によって得たものを加えたら計り知れない数字になるにちがいない。

関東軍の収入源だったらしいぞ。

 

>芸能系

私は芸能界のこの「お早うございます」という挨拶が好きだ。昼も夜も関係なく、仕事の始まる時は「お早うございます」で、終われば「お疲れさま」だ。江戸時代からこの習慣は始まったらしいが、上下の差別なく、ま
た仕事仲間にたいする敬意に満ちていて、まことによくできた仕来りだと思う。

 

歌を作っている人間にとっての最大の喜びは、「その歌が想像以上の完成度で仕上がった時だ。確実に歌が創造された喜び。その歌が街に流れ、人の心を打ち、その響きがさらに広がっていく様が想像できる。なによりの証拠に、今このスタジオにいるミュージシャンもディレクターもその助手たちも、レコード会社、プロダクション関係者もみんながすでに幸福感にみちた表情をしているではないか。なにかスタジオと調整室に桃色の粉末が撒き散らされたようで、すべてがピンク色に見える。これが歌作りの喜びであり、この、なにか全員で歓喜を生み出した感じは一種の祭りの盛り上がりに通じるものがある。古来、芸能は神社仏閣によって深く庇護されだが、その理由はきっと世の禍事を祓い清める祭りの歓にも似た芸能のあやかしの神秘への畏敬の念であろう。

 

この虚実皮膜の中に、この融通無碍の中にいつしか人間的な「実」のようなものがまさに阿吽の呼吸で互いに交感しあうことが稀に、極めて稀にある。それに遭遇した時の歓びこそがすなわち遊びの極致なのだろう。

 

なかにし礼

なかにし礼、まだ生きてる模様。

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