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敵兵を救助せよ!/駆逐艦「雷」工藤艦長と海の武士道

文庫 敵兵を救助せよ!: 駆逐艦「雷」工藤艦長と海の武士道 (草思社文庫)
【概要】
著者(監督):惠隆之介

江田島の著者が駆逐艦「雷」艦長・工藤俊作中佐を顕彰すべく筆を執った。

「〇これ」でおなじみ、スラバヤ沖海戦での英国海軍将兵救出劇をクライマックスに据えた工藤の評伝。旧海軍に余裕がある時期だったからできたことではあるが、ご立派。この一件で不朽の名を後世に残した。もちろん、工藤の円満な人格と普段の行いがあってこそだが。そして、このことを工藤が死ぬまでナイショにしてたのもカッコいい。良いものは良い、悪いものは悪いと戦前を虚心坦懐に見られるようになるのはいつのことになりますやら。

著者の経歴からすると筆が暴れそうだが、なんとか抑制した感じ。

明治後期以降の日本をとりまく情勢も大まかに理解できる。


【詳細】
<メモ>

戦闘行動中の艦艇が、敵潜水艦の魚雷攻撃をいつ受けるかも知れない危険な海域で、自艦の乗組員の二倍の敵将兵を救助したのだった。もちろん艦長の英断であった。


堂々たる体躯の、大仏こと工藤。

彼本人は黙して語らず。基本的には他人に語らせるスタイル。
在りし日の江田島海軍兵学校の日々、海軍士官の肩で風を切って歩く姿、教官の日曜接待など、憧憬を持って海軍を語る著者。「士官たる前に紳士たれ」。

著者、けっこう保守的な口調でオッさん臭いところはあるが、まあ許せるレベル。

 

工藤、写真の通り朴訥で温厚篤実そうなエエ奴そう。

兵学校同期の扇は、工藤の思い出について尋ねられた時、開口一番、「アイツはエエヤツだった」と発言した後、「実にシャイな男であった」と語っている。

 

おなじみ「五省」。

一、 至誠に悖るなかりしか
一、 言行に恥ずるなかりしか
一、 気力に欠くるなかりしか
一、 努力に憾みなかりしか
一、 無精に亘るなかりしか

 

夏期休暇で帰省した時の思い出を五十嵐なおはこう語っている。

「優しい方でした。祖母と茄子もぎに行った時、田んぼの畦道で転んでしまいました。その時、近くを歩いていた俊作さんが駆け寄って抱き起こしてくれたんです。そして服に付いた埃を払い落としてくれたんです」。

なおは、当時十歳であった。

☝こういうの、めっちゃ、すき(๑╹ω╹๑ )

 

工藤は、三号生徒の時浩養館で大井と羊羹食い競争をやり、大井に勝ったものの二人とも発熱と腹痛を来し、即日入院の処置を受けている。

☝こういうのも、めっちゃ、すき(๑╹ω╹๑ )

 

着任の訓示も「本日より、本艦は私的制裁を禁止する。とくに鉄拳制裁は厳禁する」というものだった。乗組員は目を白黒させる。

 

今日の「その時」です。

午前十時頃、工藤は「救助!」と叫び、「取り舵いっぱい」と下令、艦を大きく左に転舵する。そして針路三〇度に定針し、敵漂流者集団の最前方に艦首を向けたのである。

 

航海長の谷川も、「確かに当時の艦橋には救助しようというムードが満ちていた」と、証言している。

 

日頃、艦内のいじめ役とされていた猛者たちも涙声になり、声をからして、「頑張れ!」「頑張れ!」と甲板上から連呼するようになる。

 

でも、人知れず心身を削っていたのだ。

「おおらかで温和な性格のクセに、工藤は、ことさら機敏果敢な戦術行動が本領の水雷屋の道を選んだ。そのせいか随分とムリもあったらしく、海軍生活の後半は病身がちのようだった」