【概要】
著者(監督):吉村昭
海難事故の暗い秘密、沖縄戦に従軍した理髪師、伊号第三十三潜水艦沈没および引揚などの五短編を収録。人間が歴史の大いなる力につき動かされて動き回るさまを、著者お得意の淡々とした筆致で克明に描く。どれもずっしり重いが頁をめくらせる手腕はさすが。なかでも『総員起シ』は、プロジェクトXのごときサルベージ作業が印象的。
【詳細】
<目次>
- 海の柩
- 手首の記憶
- 烏の浜
- 剃刀
- 総員起シ
<メモ>
北海道から沖縄まで、太平洋戦争中の事件・人生が並ぶ。各話終盤にインタビュー挿入あるよ。短編集なので読みやすい。
緻密な取材と五感を刺激する表現で圧倒的なリアリティを獲得している。なかでも『総員起シ』は戦後のサルベージ作業まで克明に描いており、読みごたえがある。
250kgf/cm2の高圧空気の作動による海水の排出、弁閉止不良による漏水や浮きタンクを使用したサルベージ作業の描写など、エンジニアリングやメカが好きそうな感じがする。
<海の柩>
極寒の海と沿岸漁師の暖かさが印象的。
「切りましたか」も印象的。
<総員起シ>
タイムカプセルと化した伊号第三十三潜水艦。
戦後のサルベージで総員起シの号令がかけられるーー。
男の顔には、激しい苦悶の形相があらわれていた。掌はかたくにぎりしめられ、眼は吊り上っている。白石は、その男の頭髪に不審感をいだいた。旧海軍の水平はイガグリ頭であるはずなのに、神が五センチほどの長さに伸びている。顎にも鼻下にも無精髭が散っている。
下半身は露出し、褌がずれて男根が突出していた。足先は、わずかに爪立っている。口をあけ、眼を開いていた。
「そうだね、総員起シの命令でもかければ、飛び起きそうな感じだな。眠っているみたいだよ」
その区画の酸素は、すべて男たちによって吸いつくされた。酸素が絶えたことは、区画内の雑菌の活動も停止させ、さらに、水深61メートルの海底の低い温度が一層その腐敗作用をさまたげたのだろう。
その頃、艦上にならべられた十三個の遺体には、いちじるしい変化が起っていた。遺体は眩ゆい陽光を浴び、艦の鉄から立ちのぼる熱気につつまれていたが、白い皮膚に湧いていた赤い点状のものが拡大しはじめた。その速度はすさまじく、無数の朱色の虫が這い回るように全身にひろがってゆく。たちまち皮膚は赤い斑紋におおわれた。水分が失われているためか粘液はにじみ出ず、逆に、表皮が肉片とともにはがれ落ちてゆく。
小生在世中は女との関係之無。為念。
一機曹 羽瀬原信夫