藤原氏の勢力伸長と摂関政治の完成を主軸に描く。当時の宮廷政治劇はもちろんのこと、中央政権の運営を担っていた彼らの衣食住や人生観・世界観などを窺い知れる『源氏物語』を読んでいるとわかりやすいと思う。
【詳細】
<目次>
- 源氏物語の世界
- 安和の変
- 道長の出現
- 家族と外戚
- 身分と昇進
- 中宮彰子
- 一条天皇の宮廷
- 清少納言と紫式部
- 儀式の世界
- 日記を書く人々
- 栄華への道
- 望月の歌
- 怨霊の恐怖
- 公卿と政務
- 刀伊の襲来
- 盗賊・乱闘・疫病
- 平安貴族の衣装
- 法成寺と道長の死
- 浄土の教え
- 欠けゆく月影
<メモ>
王朝の貴族、それは平安中期における日本の代表者であった。かれらは政治的には形式にとらわれて怠惰であり、性格的には名利の欲望が強く、利己的であった。しかし、文化的には、彼らは洗煉された感覚をもって、日本人の性格・好尚の一面を探り当て、最高度まで磨きをかけることに成功した。その成果は深く根をおろして、九百年後のこんにちに至るまで明らかに生き続けている。そして、良きにつけ悪しきにつけ、かれらはなんらかの意味で、こんにちのわれわれひとりひとりの祖先にほかならないのである。
〇宮廷生活(一条天皇の御代)
天皇を中心に、親王があり、大臣・公卿・殿上人のグループがある。親王は天皇にもっとも近い身分であり、大臣・公卿が朝廷の中核を形成し、殿上人がこれを取り巻く。宮廷性格でもっとも重んぜられ、おりにふれておこなわれた詩歌管弦の会には、それぞれに花形に事欠くことはない。生活の場を飾る絵画には名工があり、舞楽・相撲・競馬など、花やかな儀式には高名な近衛が並び、儀仗の容儀をととのえる。儒学・法律・仏学の大家もいれば、法会に随喜の涙を催させる説法の名人もある。吉凶禍福を察知し、厄難を払う陽道や加持祈禱にも達者がそろい、医術にも練達の術者があって生活を守り、騒動が起これば腕ききの武士が手下をひきいてこれを鎮める。まことに宮廷貴族の生活としては、あらゆる方面で頼むべき人材に事欠かないのであって、その壮観はこんにちから見てもまったく感嘆に値する。
こんな感じの文体で1000年前後の平安時代を色づける。
源氏のランク、冷泉天皇の狂気、藤原氏の勢力争い、幹部会・公卿、後宮サロン、彰子と定子、摂関政治の完成、法成寺の威容など内容は多岐にわたるが、基本的には宮廷生活の描写が中心。『源氏物語』や『枕草子』とともに読みたいところ。
カンペ笏、道長の誤字、日記類の信頼性も面白い。
たまに感極まってコメントが入る。
それなりに学芸各界の名士があらわれるのであるが、それぞれの努力が大きく調和して実ってゆくには、どうしても信頼できる上層を持たなければならない。人間の能力が、時代によって天と地の差があるとは思えないから、多くの人に調和のとれたすなおな奮発心を起こさせるか否かが、人材を生むか生まぬかのわかれ目になるのであろう。
天皇と臣下、外孫(天皇)と祖父の人間的な交わりに重点。とかく昔のことや違う国の話だとそういう点を忘れがちになるので反省。
わたくしは天皇と摂関とのあいだに、対立感よりもむしろ親近感・一体感が認められることを重視すべきだと思う。
かれらの知識や技術の未発達は認むべきであるが、それをただちに人間の上等・下等に置きかえるのはお門違いであろう。
〇学者への戒め
学者の論は、かならず自分自身が原史料を読み、解釈し、さらに傍証を集め、周囲の諸条件を考慮して事実を考えるという、一連の操作を含むものでなければならない。この辺がいわば、アマチュアとプロの差であろう。
(日記の)登場人物の行動について、つねにその官職地位・家系・婚戚・経歴・交友などの背景を考える手数をはぶかないことが、記録を理解するうえに大切な作業である。