Javaさんのお部屋(サム・ジーヴァ帝国図書館)

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全国アホ・バカ分布考

 

全国アホ・バカ分布考―はるかなる言葉の旅路 (新潮文庫)

【概要】
著者(監督):松本修

「探偵! ナイトスクープ」伝説の企画としておなじみ。「アホ」と「バカ」の境界を探していたら、「タワケ」がその間にあることを知り、西にも「バカ」があることを知り、柳田の『方言周圏論』を知り…。ドキュメンタリー形式でアホバカ言葉の足跡を辿る、古今東西を行き来する知的冒険のはじまり(中国まで行っちゃう)。

大規模な全国アンケート調査で23系統の罵倒語を抽出し、それらの有力な語源を突き止めるその執念には驚かされた。そしてこのプロジェクトを実行する手腕と情熱にも。


【詳細】

<引用>

「つまらない言葉」にも、いにしえの京でめまぐるしく流行りことばが生まれ、そして忘れられていった偉大な歴史のあったこと、すなわち、限られた文献などではとうてい計り知ることのできない、豊かな話しことばの世界がこの日本で育まれ続けてきたのだという事実をまのあたりにして、きっと深い感慨を抱かれることだろう。

 

今や一地方都市でしかありえない京都が、かつて永い期間、言葉、すなわち文化の強力な発信地であり続けたということ自体に、私は驚嘆せざるを得なかった。この事実は、古代から中世を通して、人口の多い華やかな大都会は、京都しかなかったことを意味している。

 

「惚れ者」「惚け者」と、人をぼんやり者として評価し、「虚仮」「本地なし」と仏教語を転用し、「田蔵田」「鮟鱇」と間抜けた動物の名で呼ぶ。「唐人」「陪堂」も似たようなたとえである。また「温い(ぬるい・ぬくい)」「疎い」「とろい」「半可くさい」と形容詞まで意味を変えて登板させ、「あやかり者」「根性良し」と表向きだけは最高に褒め上げる。「七厘」「八分」と具体的に不足する分量を示し、「ボボラ」と外来の植物まで持ち出す。さらに「安本丹」「運尽く」「表六玉」「すかたん」「潮斎坊」「頬垂れ温い」と語呂の面白さまで配慮する。

よくもまあ、こんなに色々な工夫が凝らされたものだ。「戯け者」や「足らず」など、格別には芸のないものもあるが、とはいえこれらも比喩の一種であることに違いはない。アホ・バカ表現こそ、まさに言葉遊びのアイデアの玉手箱ということができるだろう。

こういう言葉が京の町で次々と開発されるにあたっては、おそらく、庶民の遊びの精神が作用していた。人は人をけなすために最大限の知恵を絞り、あらゆるボキャブラリーを動員して、表現のユニークさ、絶妙さを競ったのである。それは稚気愛すべき、都の庶民の企てだった。こんな時、「痴」や「愚」、あるいは「無知」などをストレートに表わすような言葉、あるいは差別的な言葉は、当然のことながら最初から排除された。そんな一片のデリカシーもない、または遊び心もセンスの冴えもない発想こそ、まさに恥ずべき「ナンセンス」だったからである。

 

方言は素晴らしい。方言こそ、それぞれの土地の魂ではないだろうか。ここ一、二年ずっと方言と向き合ってきた私は、今しみじみとそう思わざるを得なかった。どんな土地に生まれタ人も、読み書きを覚えるよりもはるかに前に、まずはその土地の話しことばを学ぶのだ。方言によって育てられ、方言によってものを考える。方言がそれぞれの人の心のふるさとであるならば、それが安易におとしめられていいはずはない。方言は、素晴らしいのである。

 

<メモ>

  • 辞書や文献、碩学の説を批判的な目で見ながら文献を渉猟し、アホ・バカ語の伝播過程を推測していく。初出年代、伝本の良かれ改竄・書き換え、民間の語源解釈(田分けじゃないよ)について懐疑する姿勢はまさに学問的。
  • 企画を立ち上げ、アンケート調査し、結果と文献をつき合わせ、諸先生方の薫陶を受けながら、アホ・バカ分布図を作成し、放送にこぎつける。学会発表もついでにしちゃう。このドミュメンタリー的な側面も面白い。またテレビの良い方向の可能性を教えてくれる。
  • プリムヌ、馬家の者、阿呆の語源探しが主なトピック。沖縄(プリムヌ=ふれもの説の否定)と東北(田舎くさいと思われていた言葉が実は京の面影を今に伝えていた)の名誉回復には情熱を感じた。
  • 言葉の伝播は方言周圏論がベースだが、地形(山、海、半島)、行政区画(藩境)、メディア(書籍、新聞、テレビ)、文化・芸能(演劇、花柳界など)、教育、国外との文物の交流、遷都、地震、戦争など多くの変数が絡んでくる。そして何より「今、都でなにが流行っているかなどは重要でない。重要なのは、今までよりもカッコよく、新鮮に感じられるかどうかということ」が拡散の駆動力であった。
  • 中世までは言葉が貴人から庶民にお下がりする流れだったが、近世からは庶民が新語の主要な生産者として台頭してくる。
  • 業界人らしく、当時の日本で交わされていたかもしれない肯綮が映像的なイメージで時おり喚起させる。

 

 

 

<動画>

www.youtube.com

 

<続編>

javalousty.hatenablog.com