【概要】
著者(監督):石母田正
『平家物語』を、思想、時代の空気、文学的意義、成立の経緯と変遷、登場人物、形式・構成などの面から分析する。「祇園精舎」や「那須与一」、「敦盛最期」だけが平家物語ではない。激動の時代が生んだ、雑多で懐の深い群像劇の魅力に気付く。
【詳細】
<特徴>
①滅びゆくものにたいする悲哀の情をもって一篇を貫く骨格
(「たけき者も遂にはほろびぬ」~「それよりしてこそ平家の子孫は長く絶にけれ」)
②年代記的叙述
④語物としての統一、したがって文体=声調の統一
⑤無常観あるいは運命観にあらわれている作品としての思想の一貫性
平家物語十二巻を通読すると、一つの混雑した印象が後にのこる。余りに異質のものが雑然とはいりすぎているのである。年代記的、記録的なもの、合戦記、説話、物語(ロマンス)等々が雑然とならび、劇的なものの芽さえみえる。それによっていたるところに中断がある。『源氏物語』の世界そのままの章段があるかとおもえば、『今昔物語』の世界もあり、公卿の日記の書き下しのような文章があるかとおもうと、社寺の縁起みたいなところもでてくる。漢土の始皇帝時代の先蹤譚が長々とのべてあるすぐ後には、富士川への出陣がはじまるという風である。
人間の力のおよび得ないもの、予見しがたい力、歴史と人間を背後にあって動かしている漠然とした力を、この時代の人々は運命という言葉で表現したのである。
「見べき程の事は見つ、今は自害せん」という知盛の言葉は、平家物語のなかで、おそらく千鈞の重みをもつ言葉であろう。彼はここで何を見たというのであろうか。いうまでもなく、それは内乱の歴史の変動と、そこにくりひろげられた人間の一切の浮沈、喜劇と悲劇であり、それを通して厳として存在する運命の支配であろう。
つまり平家物語の作者は、後からかんがえれば、滅亡するほかなかったような運命にさからって、たたかい、逃げ、もがいたところの多くの人間に深い興味をもったのである。それを物語にしたことによって、彼は人間の営みを無意味なものとかんがえる思想とたたかっているといってもよい。
もはやつくり話と虚構によっては、事実と経験で教えられた人々を満足させることはできない時代であった。事実そのものの巨大さに圧倒されている人間には、事実そのものを記録する以外には、その物語的要求を充足させることはできない。
この時代の全国の武士たちのすべての経験は、兵士の滅亡という一点に集中され、それとの関連のなかではじめて一つの事実として記憶されてゆく。
<その他特徴>
生活感のなさ、政治性の薄さ、義経像の変化、各所に配される人物像の典型、年代記的記録の変容、日常語の取り入れ、語物の効果(文学性の付与、集団の動きの表現、合戦記部分の無邪気さ)、和漢混淆文(力強く明晰な輪郭と行為)など。