【概要】
著者(監督):こだま
直球タイトルが清々しい。内向的な精神はいかに苛酷な現実と対峙し、小康状態に至ったか。著者が直面した悲喜劇を描く。陰のある生い立ち、性生活の不一致、堕落、学級崩壊、休職など、陰惨で胸がきりきり痛む内容だが、どこかユーモアがあり読ませる文章。書かずには生きられないくらい苦しかったんだろうなあ。
【詳細】
いきなりだが、夫のちんぽが入らない。
いきなりだな。
内向的だった著者が、忌まわしい郷里から逃避し、距離感のおかしい男に出会う。
兄妹のような二人の関係は急速に進展するが…。
我々にはいまだ解決できない大きな問題がある。未解決ちんぽ問題。四年も取り組んでいながら、まだ答えが出ていなかった。
布地の食い込んだファスナーを無理やりこじ開けるような、犬小屋に軽四を押し込むような、恐れと頼りなさを感じながら、めりめり、めりめりと裂けてゆく。ちんぽは返り血を浴びた人殺しのように赤く染まっていた。
性生活でも仕事でも満たされない心は、変人揃いの魔窟へ。
誘われて初めて一緒に登った山の頂で、いきなり彼が自慰を始めたとき、私はただ呆然と立ちすくむしかなかった。アリハラさんがおかしくなってしまった。もしかして、これが高山病というやつなのか。彼は大きな岩に腰掛けて、感情を持たない化け物のように高速でちんぽをしごいていた。その尻だけがとても白かった。
身体を貸し合っている。求めるものは違っていても、それで成り立った。少なくとも知らない男の人と会っている時間は学校のことも、夫のちんぽが入らないことも考えずに済んだ。束の間、現実から逃げることができた。
私たちの性は網走監獄の鉄格子の奥に置いてきた。木目の剥げた床、申し訳程度に敷かれた藁。その寒々しい独房に、これまでの思いを放り込み、鍵をかけてきたのだ。
ちんぽが入らない人と交際して二十年が経つ。もうセックスをしなくていい。ちんぽが入るか入らないか、こだわらなくていい。子供を産もうとしなくていい。誰とも比べなくていい。張り合わなくていい。自分の好きなように生きていい。私たちには私たちの夫婦のかたちがある。少しずつだけれど、まだ迷うこともあるけれど、長いあいだ囚われてきた考えから解放されるようになった。
「ちんぽ」を出したことで、自分を覆っていた厚い殻を割ることができたのかもしれない。
使用されているのは平易な語彙や表現だが、ちょっと変わった感性を感じる。
- 「レンタルビデオとツナ缶と少年ジャンプと白菜が同じ棚に陳列されている廃業寸前の商店しかない集落」
- 「私は失敗作としてこの世に生れてきたのだと思った。壺のように粉々になってしまえたらよかった」
- 「食欲と性欲が同列であることを教えるかのように、たこやきと風俗のカードが重なっていた」
- 「浴びせられた暴言、言えなかった言葉。それらがすべて石となって堆積していった」