【概要】
著者(監督):ジェーン・スー
「片桐はいり村いちばんの美人」が女子性について諧謔と切なさを交え語る。演題は、結婚、容姿や若さ以外の価、値隙、仕事ゲーム、父娘関係、東京など多岐にわたる。深爪とかトイアンナ的なやつ。曰く「女は生涯、いち女子」である。
基本的には「私のいたテーブルは男たちから北朝鮮と呼ばれていた」などと諧謔まじりで女子性の宿命を面白おかしく書いてあるが、「母を早くに亡くすということ」あたりでいきなり真面目になったりもする。
肉体を庭に譬えたり、「結婚も出産もせず生き長らえていると、生きることはまるで賽の河原で石を積むのと同じに思えてきますね」と表現したりするセンスは面白い。
【詳細】
<女子会には二種類あってだな>
<私はオバさんになったが森高はどうだ>
- 女の老けは総合点で決まります。ファンデーションをぬると浮き上がってくる目元のちりめん皺なんて序の口で、髪の艶、デコルテのハリ、後ろ姿の肉付き、歯の色、白目の濁り、手の甲のシミ、顔の輪郭、踵の硬さ、尻のざらつき、地爪の色、首の皺など、体のすべてが老けの反射区になっている。それぞれが、少しずつ少しずつ経年劣化した状態の総合点で、全体の印象が決まります。
- 自分の意志に関係なく体の変化で女の舞台に上げられて、ようやく心と体の辻褄が合ってきたあたりで、今度は体が舞台から降りようとするのです。堪ったものではありません。
<三十路の心得十箇条>
- 夜更かしOKの小銭持ち小学生が如く好き放題やっている単身者にとって、三十代はまるで竜宮城。天女の舞を見ているうちに、7~8年なんてあっという間に過ぎてしまいます。そして、気づけば誰もが浦島太郎。
<隙がないこと岩の如し>
- 隙のある状態に耐えられる能力は、あいまいな空気を他者との間に漂わせたままにできる強さです。一見主体性のない女の子の方が、強気な女よりずっと強いと思うことがあるのは、己を漂わせる強さを彼女たちが持っているからです。
<ブスとババアの有用性>
- 若い時分に可愛くも美しくもなく、その手の恩恵をまるで受けられなかったというのに侮蔑(ブスデブババア)だけは浴びるなんて、人生は本当に不公平です。
- ブスやババアと罵る人を糾弾して悔い改めて貰うことも、自分をブスとかデブとかババアと思わないようにすることも、かなりの労力が必要です。
- 容姿や若さ以外に好意的な評価を繰れる人と、濃い付き合いをするように努める。それぐらいの自分勝手は許されて然るべきです。
<三十代の自由と結婚>
- まだ結婚や夢に希望を感じ、たったひとりと添い遂げる錯覚力があるうちに、さっさと結婚してしまうのが得策なんでしょうね。
<食わず嫌いをやめる>
- 嫌な思いをしないよう、傷つかないよう避けていたもの(運動)が、一生自分を苦しめるとは限らない。身を以ってそれを知り、私は気が楽になりました。
<東京生まれ東京育ちが地方出身者から授かる恩恵と浴びる毒>
- 東京人ではない人が東京を作り、そこで生まれた光はガーッと地方を照らし、誘蛾灯のように地方からまた人を集めてくる。東京人不在の東京狂騒曲の始まりです。
- 東京の人間は東京ではマイノリティですから、なにもできずにそれをボーッと見ているだけ。身近に東京があったからこそ、既存の流行を奪取し、塗り替え、牽引するようなパワーは持ち合せていない。これがもっさい東京人の哀しみです。
<とあるゲームの攻略法>
- 結婚や出産を経験しなければ不完全と見なされがちな女に対し、働き続けなければ不完全と見なされがちなのが男というわけです。
<小さな女の子救済作戦>
- さみしくて傷ついた時にそれを認識しないでいると、嬉しくて飛び上がりたい時の感情も、可愛いものや美しいものを見て幸せになった気持ちも、感動で心が揺さぶられた時の気持ちも、だんだん表に出せなくなってきます。
- 小さな女の子の感情に付き合うのは超絶面倒でしたが、彼女の存在を認めたら、私はこの女の子を救済できた。巨大な女児は少しずつ小さくなって、私はそこそこ気楽になりました。
やっぱこういうことなんだろうな。
「小中高大とスクールカースト最上位で文章も上手いです!」
— 塩谷 舞(milieu編集長) (@ciotan) 2018年11月16日
みたいな人が滅多にいないのは、やはり想いを口に出せないから文字にする、鬱々とするから思考がこじれる、こじれるからこそ文章にする、そういう3次元以外での発散場所をちゃんと作ることで息ができるからだとしみじみ思う