Javaさんのお部屋(サム・ジーヴァ帝国図書館)

Javaさんのお部屋です。引っ越しました。詳しくは「はじめに」を読んでね。スマホ版は全体像が見えにくいから、PC版と切り替えながら見てね。

意識の形而上学

東洋哲学覚書 意識の形而上学―『大乗起信論』の哲学 (中公文庫)

【概要】
著者(監督):井筒俊彦

大乗仏教屈指の論書『大乗起信論』を著者流に、「創造的、かつ未来志向的に」読み解く。「真如」「本覚」などの言葉をキータームに、意味・存在の分節に関する深奥にしてシンプルな思想に分け入る。全体と部分、無分節と分節、無と有、覚と不覚、仏と衆生、相対立する概念を統一する指南書である。


【詳細】

ブッディズムの窮極の目的は下記の境地を真に理解すること。

一切諸法は、ただ妄念に依りて差別あるのみ。もし心念を離るれば、則ち一切の境界の相なし。是の故に、一切の法は、もとよりこのかた言説の相を離れ、名字の相を離れ、心縁の相を離れ、畢竟平等にして、変異あることなく破壊す可からず、唯だ是れ一心のみなるを、故に真如と名づく。

これこそ、東洋思想に通底する「意味分節・即・存在分節」という原理である。近代西洋流の「分析と綜合」で失われるものを掬い取ってくれると言われて久しい。

 

存在と意識の二階層的形而上学の全一性を、人が、個人個人の実存において、いかに生きていくか、いかに生きていくべきか、つまり、いかに実践に移していくべきか、それが問題となるのである。

 

実存意識が、ついに絶対的「覚」に到達し、意識の真に本源的な境位、「自性清浄心」、が最後的な形で現成しおわったとき、そのときにのみ、円環(不覚⇔覚)は閉止され、形而上学的意味での「終末」の時が来る。

そして、そのとき、絶対的「覚者(ブッダ)」が誕生する。こうして、『起心論』の構想する倫理学的修行の道は最終点に達するのだ。