作・編:高村光太郎
【概要】
前半はイマイチだが後半から光速に到達。「光」太郎だけに、まばゆい光を求めて邁進する意志を随所に感じられる。口語にこだわった光太郎の面目躍如を見よ。
【詳細】
「道程」「雨にうたるるカテドラル」『千恵子抄』などの名品を収める。
冬や智恵子、そして光が好きみたい。曰く、
詩を書くのに文語の中に逃げこむことを決してしまいと思つた。どんなに傷だらけでも出来るだけ今日の言葉に近い表現で書かうと思つた。
●根付の国
頬骨が出て、唇が厚くて、眼が三角で、名人三五郎の彫つた根付の様な顔をして
魂を抜かれた様にぽかんとして
自分を知らない、こせこせした
命のやすい
見栄坊な
小さく固まつて、納まり返つた
猿の様な、狐の様な、ももんがあの様な、だぼはぜの様な、麦魚の様な、鬼瓦の様な、茶碗のかけらの様な日本人
●寂寥
何処にか走らざるべからず
走るべき処なし
何事か為さざるべからず
為すべき事なし
坐するに堪へず
脅迫は大地に満てり
●夏
夏になればてらてらと
屋根の瓦が照り返し
入道雲も上せつつ
うろん臭げなうす笑ひ
物もうごかぬ真日昼に
いきり立つ水気の憎さ
やがてつもれば、どうせ不祥な
雷さまがわめき出す
●さびしきみち
さびしきはひとのよのことにして
かなしきはたましひのふるさと
●狂者の詩
ラッパーKOH-TAROH。
妥協は禁制
円満無事は第二の問題
己は何処までも押し通す、やり通す
何の定規で人を度る
真面目、不真面目、馬鹿、利口
THANK YOU VERY MUCH, VERY VERY MUCH
●カフエにて
人間の心の影の
あらゆる隅隅を尊重しよう
卑屈も、獰悪も、惨憺も
勇気も、温良も、涌躍も
それが自然であるかぎり
●冬の詩
孤独を恐れるな、万人に、わからせようとするな、第二義に生きるな
根のない感激に耽る事を止めよ
素より衆人の口を無視しろ
比較を好む評判記をわらへ
ああ、そして人間を感じろ
愛に生きよ、愛に育て
冬の峻烈の愛を思へ、裸の愛を見よ
平和のみ愛の相ではない
平和と慰安は卑屈者の糧だ
ほろりとするのを人間味と考へるな
それは循俗味だ
氷のように意力のはちきる自然さを味へ
いい世界をつくれ
人間を押し上げろ
未来を生かせ
●牛
牛は急ぐことをしない
牛は力一ぱいに地面を頼つて行く
自分を載せてゐる自然の力を信じきつて行く
ひと足、ひと足、牛は自分の道を味はつて行く
ふみ出す足は必然だ
牛の眼は聖者の眼だ
牛は自然をその通りにぢつと見る
見つめる
きよろきよろときよろつかない
眼に角も立てない
牛が自然を見る事は牛が自分を見る事だ
●道程
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちにさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の気魄を僕に充たせよ
この遠い道程のため
この遠い道程のため
●花のひらくやうに
ああ痩せいがんだこの魂よ
お前の第一の為事は
何を措いてもようく眠る事だ
眠つて眠りぬく事だ
自分を大切にせよ
さあようく
お眠り、お眠り
君達は素直だな
さびしそうで賑やかで
つつましさうで快活だ
いろんな心配事がありさうで
又いろんな夢で一ぱいさうだ
想像もつかない面白い可笑しい夢でね
有り余る青春に
ぱつと花咲いた君達だ
君たち自身で悟るには勿体ない程の酣酔だ
●雨にうたるるカテドラル
おう又吹きつのるあめかぜ。
出来ることならあなたの存在を吹き消して
もとの虚空に返さうとするかのやうなこの天然四元のたけりやう。
けぶつて燐光を発する雨の乱立。
あなたのいただきを斑らにかすめて飛ぶ雲の鱗。
鐘楼の柱一本でもへし折らうと執念くからみつく旋風のあふり。
薔薇窓のダンテルにぶつけ、はじけ、ながれ、羽ばたく無数の小さな光つたエルフ。
しぶきの間に見えかくれるあの高い建築べりのガルグイユのばけものだけが、
飛びかはすエルフの群れを引きうけて、
前足を上げ首をのばし、
歯をむき出して燃える噴水の息をふきかけてゐます。
●落ち葉を浴びて立つ
くゆり立つ秋の日向ぼつこに、
世にもぶちまけた、投げ出した、有り放題な、ふんだんの美に
身も魂もねむくなるまで浸させてくれ。
雀をまねるあの百舌のおしやべりを聞きながら、
心に豊饒な麻酔を取らう、
有りあまるものの美に埋もれよう。
●とげとげなエピグラム
おれの手の届かないさきを人がやる、
人の手の届かないさきをおれがやる、
それでいい。
●葱
俵を敷いた大胆不敵な葱を見ると
ちきしやう、
造形なんて影がうすいぞ。
友がくれた一束の葱に
俺が感謝するのはその抽象無視だ。
●象の銀行
インド産のとぼけた象。
日本産の寂しい青年。
群衆なる「彼等」は見るがいい、
どうしてこんなに二人の仲が好過ぎるかを。
●十大弟子
見知らぬ奈良朝の彫刻師よ、
いくらおん身がそしらぬ顔を為ようとも、
私はちゃんと見てしまつたよ。
おん身がどうして因陀羅の雲をつかんで来たかを、
どうして燃える火を霧と香ひとでつつんだかを、
どうして万象の氤氳を唯識の蔭に封じこめたかを、
どうして千年の夢を手の平に乗せたかを。
●偶作
急にしんとして
山の匂のしてくる人がある
●母をおもふ
「阿父さんと阿母さんとどつちが好き」と
夕暮の背中の上でよくきかれたあの路地口。
母を思ひ出すとおれは愚にかへり、
人生の底がぬけて
怖いものがなくなる。
どんな事があらうともみんな
死んだ母が知つてるやうな気がする。
●冬の言葉
冬は鉄碪を打つて又叫ぶ、
一生を棒にふつて人生に関与せよと。
●当然事
海へ出ると永遠をまのあたり見るから
船の上で巨大な星座に驚くのだ。
鳥が鳴くのはおのれ以上のおのれの声のやうだから
桜の枝の頬白の高鳴きにきき惚れるのだ。
女は花よりもうるはしく温暖だから
どんな女にも心を開いて傾倒するのだ。
誌が生きた言葉を求めるから
文ある借着を敬遠するのだ。
●人に
いやなんです
あなたのいつてしまうのが――
●深夜の雪
あたたかいガスだんろの火は
ほのかに音を立て、
しめきつた書斎の電燈は
しづかにやや疲れ気味の二人を照す。
宵からの曇り空が雪にかはり、
さつき牕から見れば
もう一面に白かつたが、
ただ音もなく降りつもる雪の重さを
地上と屋根と二人のこころとに感じ、
むしろ楽しみを包んで軟いその重さに
世界は息をひそめて子供心の眼をみはる。
「これみや、もうこんなに積つたぜ」
と、にじんだ声が遠くに聞え、
やがてぽんぽんと下駄の歯をはたく音。
あとはだんまりの夜も十一時となれば、
話の種さへ切れ
紅茶もものうく
ただ二人手をとつて
声のないこの世の中の深い心に耳を傾け、
流れわたる時間の姿をみつめ、
ほんのり汗ばんだ顔は安らかさに満ちて
ありとある人の感情をも容易くうけいれようとする。
●人類の泉
青葉のさきから又も若葉の燃え出すやうに
今日もこの魂の加速度を
自分ながら胸一ぱいに感じてゐました
もう万人の通る通路から数歩自分の道に踏み込みました
もう共に手を取る友達はありません
ただ互に或る部分を了解し合ふ友達があるのみです
私はこの孤独を悲しまなくなりました
●僕等
あなたは火だ
あなたは僕に古くなればなるほど新しさを感じさせる
僕にとつてあなたは新奇の無尽蔵だ
凡ての枝葉を取り去つた現実のかたまりだ
僕等はいのちを惜しむ
僕等は休む事をしない
僕等は高く どこまでも高く僕等を押し上げてゆかないではゐられない
伸びないでは
大きくなりきらないでは
深くなり通さないでは
――何という光だ 何という善だ
●千鳥と遊ぶ智恵子
人間商売さらりとやめて、
もう天然の向こうに行つてしまつた智恵子の
うしろ姿がぽつんと見える。
二丁も離れた防風林の夕日の中で
松の花粉をあびながら私はいつまでも立ち尽す。
● レモン哀歌
かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔山巓でしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機関はそれなり止まつた
写真の前に插した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう